一乗谷朝倉氏遺跡は福井市の東南約10kmの地点にある、中世唯一・最大の戦国時代の町並で、1471年の築城から織田信長に亡ぼされる(1573年)までの5代103年にわたる朝倉氏の栄華の跡が残っています。
全国で四例目(金閣寺・銀閣寺・醍醐寺に続く)となる国の三重指定(重要文化財・特別史跡・特別名勝)も受けていて、今後さらに指定が増える可能性も秘めています。そんな朝倉氏遺跡にぜひおいでください。歴史ロマンを体感できますよ。

復原町並はその字のごとく、発掘された建物礎石や塀の石垣、道路を使って当時の町並を南北200mにわたり忠実に再現しています。一乗谷には朝倉氏一族、武家、僧侶、神官、商人、職人などさまざまな人々が居住していましたが、生活の差は歴然としていました。たとえば、大きな武家屋敷が門を道路に開き周囲に土塀を巡らしているのに対し、町家は道路に直接面している単純な建物で立地も一乗谷の氾濫の危険にさらされるような場所や山際だったりと、不利な所に集中しています。
そんな当時の光景に思いを馳せながら、この道を歩いてみてください。戦国時代にタイムスリップできますよ。

義景館跡は遺跡の中心的存在。城下町である東の山城を背にし、東以外の三方に4mほどの土塁を配し、その周りに堀を巡らしています。館内の平坦部は約6,400平方メートルあり、常御殿、主殿、会所、茶室のほか、台所、厩、湯殿などが整然と配置されており、日本最古の遺構である花壇跡も発見されています。
館の正門にあたるのが唐門。これは、五代義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の寺門(ただし、江戸時代前期の建物なのでご注意を)で、門内の上部には朝倉家の「三ツ盛木瓜」の紋と豊臣家の「五三の桐」が刻まれています。ここは春には桜がきれいで、花見客やカメラマンも大勢いらっしゃるんですよ。
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