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我が袖は汐干に見えぬ
沖の石の
人こそ知らね乾く間もなし |
| 二条院讃岐 |
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激しく打たれる沖の石は、女心と恋心。
日本海の沖の向こうに見え隠れする石。それを自分の恋心に見立てて歌を詠んだのが二条院讃岐である。「私の袖は、潮が引いても見えない海中の沖の石のように誰も気づきませんが、恋の涙にいつも濡れていて、乾く間もありません」この時彼女は、涙で袖が濡れるほどの激しい恋を経験していたのだろうか。確かに恋に夢中になっている女性の海を眺める心情は、どこかせつなくて悲しげで感傷的になってしまうもの。しかもこの場所は当時、いくつかの船が難破し、多くの犠牲者を出した海域でもあるという。そう考えるとこの歌には、一人の男性を想う自らの恋心はもちろん、難破という悲劇でこの世を去っていった見ず知らずの男達の、はかない命の悲しささえも深く込められていると思えるのである。
妻であり母であり、歌人でもあった二条院讃岐。激しい波に打たれる沖の石を見ながら、時には恋心を燃やし、時には悲劇に嘆き苦しむ。しかし波に打たれ強い石を見ることで、彼女は確実に女性としてしたたかで、愛情の深い人になっていったはずである。
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二条院讃岐 (生没年不詳)
武士で歌人でもあった源頼政の娘。二条天皇に出仕、その頃から歌詠みを始める。二条天皇崩御後、藤原重頼の妻となり、1180年頃に若狭に滞在したといわれている。その後、建久年間に中宮任子に再出仕、程なくして出家。後鳥羽院の歌壇活動が開始されると同時に、様ざまな歌合に参加。彼女の作歌活動は高齢になってからが盛んだが、斬新な歌風が評価されている。家集『二条院讃岐集』がある。
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小浜市北部若狭湾にある沖の石。この場所は暗礁で、その昔、船がよく難波し死者も多かったとか。その悲劇を詠んだ歌ともいわれている。(小浜市) |
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