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味真野(越前市)
   
あぢま野にやどれる君が帰り来む
時の迎へをいつとか待たむ
狭野弟上娘子

あかねさす昼は物もひぬばたまの
夜はすがらにねのみし泣かゆ
中臣宅守

味真野で静かに詠まれた、万葉の悲恋の歌物語。

 万葉の時代には歌が恋人同士の手紙にもなった。特に遠方の離れた場所にいる恋人を想って詠む歌は、せつなくて寂しいものが多い。そしてこの二人の場合も、暗く寂しい歌が多いのだ。というのも二人の恋は、中臣宅守が何らかの罪を受けて、その当時の流刑地だった味真野に流され、ひきさかれてしまったからである。  天平11年(739)頃からの約2年間、二人の贈答歌のやりとりは、この味真野と京との間で頻繁に行われている。
 「味真野に流されてしまっている貴方が、都へ戻る時をいつかいつかと待ちわびています」と狭野弟上(茅上とも)娘子が訴えれば「昼は物思いにふけって、夜は泣いてばかり。それくらい君が恋しい……」と宅守が応える。このような悲しくてもなお、相手を求め続ける恋の歌の数は両者で63首以上を数え、万葉集の中でもひときわ目立つ存在となった。
 味真野は今もその当時と変わることなく、静かでどこか寂しげな雰囲気が漂っている。山々と田畑に囲まれたその土地で宅守氏は何を考え、どんな風にして過ごしていたのだろうか。”昼は物思い…“というくらいだから、いろいろなことを考え、思ったのだろう。彼女や都のこと、そして第一に自分自身のこと。もちろん賑やかな都にいる彼女にしても同じだったはずだ。
 時を越えて今、彼がいた味真野苑にたたずみ、周辺を歩いてみる。すると彼に限らず、何となく物思いにふけっている自分がそこにいることに気づくだろう。

人物紹介
狭野弟上娘子 (生没年不詳)
万葉女流歌人のひとり。蔵部の女嬬(にょじゅ)もしくは後宮蔵部の女嬬。女嬬とは後宮の雑役人で、れっきとした宮人(女官)といわれている。妻子ある中臣氏と恋愛を重ね、彼の流刑後も歌を送り続けた。二人の間で交わされた歌は63首、うち娘子は23首。ちなみに中臣氏の流罪の原因は天皇周辺などに携わる役にある娘子の身分に関わるとの説が有力で、普通では許されない恋愛だったと考えられている。

中臣宅守 (生没年不詳)
中巨東人の七男。都の役人だったのが、何らかの罪に問われて天平10(738)年に越前国の味真野へ流された。流刑期間は2年間。その間、天平12年に大赦があったが除かれ、結局天平13年に帰京することができた。その後、天平宝字7年(763)に従六位上より従五位下となったが、さらに翌年除名されてしまった。宅守は味真野だけではなく、味真野までの道中の歌も数多く残している。
名所を巡る

越前市東部に位置する味真野。現在は『越前の里 味真野苑』として、主に2人の贈答歌の歌碑を建立した庭園が整備されている。四季折々の草花や周囲の山々、そして静かで広い苑内は、常に来訪者を優しく迎えてくれる。また資料館も併設され、万葉文化に触れることができる。(越前市余川町)

味真野苑
彼らの歌は万葉集15巻後半に見られる。味真野苑では、彼らの歌以外の歌も残されている。(越前市余川町)

味真野苑内石碑
中臣氏の「吾が身こそ関山越えて比処に在らめ心は妹に寄りにしものを」は流刑の道中に歌われた。(越前市余川町)〈地図P137〉