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蓮ヶ浦(あわら市)
   
つれなくも
うき世の月は見はてけり
心を蓮の浦によせてん
宗祇


月夜に想い考える、自分のこと、人生のこと。

 戦国時代に活躍した宗祇は、連歌師であると同時に、水墨画などにも深く興味を持っていたという。しかし画を残すことはなく、ほとんどが歌での表現だった。蓮ヶ浦でも「いつの世も変わることのない月を毎日見ていると、いつの間にか私の心は、蓮の浦に引き寄せられていくようだ」と歌った。宗祇は連歌師としては遅いスタートだっただけに、地方に赴きながら様ざまなことを考え、自分が活躍できる僅かな時間を大切にしたはずである。
 北陸街道の要所として賑わった蓮ヶ浦は、その名前から歌書や仏書にもしばしば登場するという。日中は賑やかさがあるが、夜ともなれば静けさが辺り一面 を覆う。そんな一日を見て過ごした宗祇は歌と共に生き、そして老いていくことを考えていたのだろうか。蓮の名に秘められた仏心と迫り来る老いと死。そこまで深刻ではなかったにせよ、月夜の蓮ヶ浦にはそんなことを考えさせる雰囲気があったのだろう。
 そして現代、月夜に自分のことを考えて過ごすというのは、宗祇の時代と何ら変わっていないのではないだろうか。


人物紹介
宗祇 (一四二一〜一五〇二)
歌人、連歌師、古典学者としてその地位を確立。号は自然斎・種玉庵、修行時代は1450年頃(30歳頃)で、それまでの一時期に京都五山の一つ、相国寺で修行をしていたとも伝えられる。連歌指導や古典講釈のため全国の武士を歴訪、中央と地方の文化伝播に貢献した。越前には親交のあった一乗谷の朝倉氏を訪ねている。『新撰菟玖波集』撰進の他、歌集『宗祇法師集』や句集、連歌学書がある。

名所を巡る

蓮ヶ浦は吉崎参りの渡船場としても栄え、その名が仏縁にちなんでいることから、詩歌にもよく詠まれている。(あわら市蓮ヶ浦)

蓮ヶ浦地区
北潟湖東岸に位置する。民家が並ぶ地区内から少し離れた場所に神社もある。(あわら市蓮ヶ浦)