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後藤山(小浜市)
   
たのめ置し後瀬山の一ことや
恋を祈りの命なりけむ
藤原定家


山が恋心を大きく受け止めて包み込んでくれる。

 小浜市郊外にある小高い後瀬山。小浜の町並みと日本海を眺められ、万葉の時代には恋歌によく詠まれた山だ。というのも、後瀬山には”後に逢う瀬“という意味が込められているのだという。「”後瀬の山“と後日逢うことをあてにさせたあの人の一言が、恋の成就を祈る私の命をつないでいたのか」と、藤原定家もこの山に恋人の姿や言葉を託して歌ったのだろう。
 確かに恋人の言葉ひとつで心強くなり、お互いの気持ちが深くなることはある。でも彼の時代には、あからさまに恋心を伝えることはあまりなかった。だからこそ山にその心を託したのも頷けるのだ。
 ”この山を越えれば恋人のいる場所は近い“と思える程低い後瀬山。しかし実際登ってみれば、そこから延々と続く山々を見て失望するだけだ。だからこそ”後に逢う“後瀬山に、強い恋心を託さずにはいられなかったのだろう。


人物紹介
藤原定家 (一一六二〜一二四一)
安元元年(1175)に侍従、以後、左少将、左中将を歴任。建暦元年(1211)には従三位、建保2年(1214)に参議に任じられる。その後、正二位、権中納言まで至るが、天福元年(1233)に出家。歌人としての本格的な活動は養和元年(1181)、20歳の頃からで、現実と隔絶した観念的な詩情の世界を構築した作風が特徴とされている。『新古今和歌集』や『新勅撰和歌集』の撰者でもある。

名所を巡る

標高168m。「かにかくに人はいふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君」(坂上大嬢)もある。(小浜市伏原)