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やたの野にあさぢ色づく有乳山
みねのあは雪さむくぞあるらし |
| 柿本人麻呂 |
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愛発と八田、それぞれの季節の美しい色合い。
有乳とも書く愛発は、平安時代までは北陸街道の関所としてその名が知られ、歌枕として八田と共によく歌に詠まれた。八田とは奈良県大和郡山市矢田のことだといわれている。奈良の都から越前に入るには琵琶湖北、滋賀県マキノ町を経て、愛発山を越え敦賀を通
るのが一般的だったようだ。そんな経緯もあって、都に住む人にとって愛発は、都と地方をつなぐ馴染み深い地名だったと思われる。
「八田の野が浅茅で色づく時季なのだから、愛発の山はもう雪が降り始めて、寒くなっているのだろうか」と、遠く離れた愛発の雪景色を想像する。正確な天気予報がなかったこの時代は、自然を肌で感じ、季節の訪れを知るというのはごく当たり前のことだった。人麻呂の地方への遠出が頻繁だったかどうかは定かではないが、宮廷内で活躍していた彼のこと、いろいろな地方の話を聞きながら、愛発の季節の移り変わりも想像できたのであろう。そしてこの歌となって表現されたのだと考えられるのだ。
鮮やかに色づいた八田の野とは対照的に、美しい純白の雪に包まれた冬の愛発。この頃になると、降り積もる雪が人々の行く手を阻んで往来もかなり少なくなる。出掛けることも見ることもできないからこそ、愛発の美しい雪景色への憧れの気持ちが、この歌に込められているのだろう。
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柿本人麻呂 (生没年不詳)
天武・持統・文武の三代の天皇に仕えた歌人。作品も宮廷を背景にしたものが多く、各天皇、皇子、皇女たちが形成する後宮社会において、詩歌や文章に深く携わっていたと考えられる。中でも天武・持統天皇に関わるものが多い。また36歌仙でもあり『万葉集』には84首を残している。さらにその後活躍する山部赤人や笠金村らの歌にも彼の影響がみられる。『柿本麻臣人麻呂歌集』がある。
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他にも「矢田ののに打出て見れば山風のあらちの嶺は雪ふりにけり」(藤原為家)や「越路なるあらちの山に行なやみ足も血汐に染るばかりぞ」(親鸞)がある。(敦賀市疋田町) |

愛発周辺 「愛発」の中心。疋田地区。現在、地区内には江戸時代に使われた水路が残されている。(敦賀市疋田) |
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