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小浜公園(小浜市)
   
幾ひろの波は帆を越す雲に笑み
北国人と歌はれにけり
山川登美子


新しさと伝統の間で生きた女性の、心の支えとなった故郷の海。

 ”海のある奈良“として古寺や古刹が多く残る小浜。古来より、遠く京の都との交流が盛んで、伝統的な雰囲気を持ちながらも、斬新なものも秘めている町である。
 そんな小浜に生まれ育ち、京阪神方面に旅立つことで、歌人として名を馳せたのが山川登美子だ。与謝野鉄幹(寛)と後に彼の妻となる晶子と共に、都会での歌の世界を謳歌していたものの、心の中は常に故郷・小浜のことで占められていたのかもしれない。「いくつもの波を越えて行くたびに、雲も晴れてまるで空が笑っているようにも見えます。そう思えてしまうのは、私が暗いイメージのある北国の人だからでしょうか」と彼女が詠んだのは、女学校卒業後のまだ若い頃。歌の世界そして魅力ある都会にいてもなお、彼女の心は満たされなかったのか。それとも満たされていながら、ふと故郷を懐かしんだのか。
 厳格な父の元で育てられながらも、自分の意志で歌を選び、結局は若くして亡くなってしまう登美子。父という存在に代表される伝統と歌という新しさ、新旧が彼女の中に同居している様子は、あかたも小浜の町の雰囲気そのものにも思えてくる。
 海風と町中からの漂う伝統の風が出会う小浜公園。碑となった登美子は、今、どんな気持ちで小浜という町と海を眺めているのだろうか。

人物紹介
山川登美子 (一八七九〜一九〇九)
小浜生まれ。大坂梅花女学校卒業と同時に帰郷。明治33年(1900)、梅花女学校の研究生となる。同年、雑誌『明星』に短歌が掲載され、与謝野鉄幹、鳳晶子と出会う。その後父の希望で山川駐七郎との結婚のため帰郷するが、結婚生活は夫の死により2年で終わり、再び作歌活動に励む。明治38年に晶子、増田雅子と詩歌集『恋衣』を刊行。しかし夫からの結核の感染で自らも体調を崩し29歳で死去。

名所を巡る

『小浜公園』から眺める日本海は、どことなく穏やかで気持ちも落ち着く。(小浜市小浜香取、貴船)

歌碑
小浜公園内にある登美子の歌碑。(小浜市小浜香取、貴船)