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あしびきの山のはざまに白雲の
うごくがごとく人は住みけり |
| 斎藤茂吉 |
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煩雑な日々から解放され、心の自由を知る。
モノが溢れる豊かで自由な現代において、厳しい修行で有名な永平寺は異質な空間だ。訪れた人は修行僧の厳しさと逞しさに驚き、境内の静寂に心身が洗われてくるという。医師と歌人の二足の草鞋で多忙だった斎藤茂吉も、ここに入った時、同じことを感じたようだ。「山々に埋もれるように存在する永平寺。だがそこには雲が動くように、多くの僧侶や雲水が何百年と変わらない生活をしている」。
この歌を詠んだ頃の彼は、医師として活躍し、歌でも『アララギ』で写
生論を発展、歌集『あらたま』を出版したという多忙な時期だった。しかし一方で病院全焼という危機的状態でもあった。そんな中、彼にとっての永平寺は、気分転換の場所となったのだろう。それにここは彼が生まれた山形県の蔵王に似ていて、故郷を思い出していたとも考えられるのだ。
自由すぎる現代。それに逆行するように厳格な戒律に包まれた永平寺。人生の厳しい局面
に立たされた茂吉は、ストイックな生活を送る雲水達をどんなふうに見ていたのだろう。故郷のような雰囲気の中で、自らの人生のつらさを実感し、改めて自分を省みることで鋭気を養っていったのではないだろうか。
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斎藤茂吉 (一八八二〜一九五三)
山形生まれ。医師。明治38年頃に作歌を始め、伊藤左千夫に師事。大正2年(1913)、歌集『赤光』で歌壇内外で注目される。同6年に長崎医専教授として赴任、10年に第二歌集『あらたま』を発表。その後渡欧、留学生活を送る。14年に帰国するも義父経営の病院が全焼、病院再建に尽力。昭和2年、病院院長に就任。同12年芸術院会員になり、15年に大著『柿本人麿』を完成させる。昭和26年文化勲章受章。
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寛元元年(1243)、地頭波多野義重の招請により、道元が開山。境内は約10万坪の広さを誇り、杉を中心とした大木が観光客を静かに迎えてくれる。(永平寺町志比) |

門前町周辺 周辺は門前町として多くの土産物屋が並び、シーズン中や週末には、観光客で賑わう。(永平寺町志比) |
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