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證誠寺(鯖江市)
   
かみがきの柳さくらにくらべては
春もはえなきふる寺の庭
證誠寺東溟


住む人とお寺の雰囲気が町の心地よさを生む。

 鯖江市にある御本山、證誠寺。かつて浄土真宗の越前四箇本山の一つとして栄え、今も篤い信仰を集める寺だ。
 この寺の20代住職の東溟は、歌を嗜み、しかも歌を通して多方面 の人と交流があったといわれている。中でも寺より少し離れた舟津神社の宮司、橋本政貞との行き来は盛んだったようだ。「大寺の柳桜のにしきにはいかでくらべん山陰の庭(證誠寺の柳桜の素晴らしさと神社の庭をどうして比べることができましょう)」と政貞が歌えば、「神社の柳桜に比べたら、春とはいえ、古寺は全く引き立ちませんよ」と、控えめに応える。年齢や宗教が異なる二人は、歌で深く結ばれていた。それは東溟の人柄もあるが、證誠寺の雰囲気と周辺に住む人達を、政貞が心地よく感じたからではないだろうか。
 寺社には、静かで落ち着いた雰囲気がある。しかし證誠寺にはそれ以外に東溟の人柄と住民の優しさ、そして心地よさもあった。もちろん今も訪れた者をなごませる雰囲気が漂っている。


人物紹介
證誠寺東溟 (一七八五〜一八五五)
京都の公家の子だったが、文化3年(1806)、22歳で證誠寺の養子になり、後に真宗山元派本山證誠寺20世法主となる。この時の名は善超。文政4年(1821)の本堂大火では再建に務め、さらに檀徒の離脱問題も円満に解決したという。和歌以外にも天文、地理、医学などにも精通していた。嘉永2年(1849)に京都へ戻り、安政2年(1855)に遷化。幕末の歌人として注目を浴びている。

名所を巡る

親鸞の越後流罪の途中で、布教したことに始まる。道路脇の土壁が目印。また舟津神社とは2km程離れている。(鯖江市横越町)

舟津神社
二人が交流を深めたのは東溟60歳、政貞34歳の頃。お互いが尊敬しあい、後に政貞は東溟の門人となった。(鯖江市舟津町)〈地図P137〉