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平泉寺白山神社(勝山市)
   
石だたみみちのながてを歎けとて
苔むす古志の平泉寺村
富田砕花

苔厚く霧また厚き杉木立
水原秋桜子

杉木立から響く自然の声に耳を澄まして……。

 勝山の平泉寺白山神社は本殿周辺の見事なコケと樹齢200年を越える杉木立が有名なところ。そんな観光名所に詩人・富田砕花と俳人・水原秋桜子も訪れている。
 「石畳の参道を歩いて行く。あまりの長さに疲れてくる。でももうすぐ、美しいコケが広がる平泉寺が見えてくる(砕花)」「長い年月をかけて生え揃った深緑のコケ。そしてそれらのコケを包み込んでいるのは深い霧だ。コケと霧、そして杉木立から差し込む光が作る空間はとても美しいものだ(秋桜子)」
 広い境内いっぱいのコケと杉木立。ここを訪れる多くの人は、そこにたたずんでいるだけで、心が落ち着いてくるという。そして耳を澄ませば風の音、水の音、鳥の声、人の声などが杉林にこだまして響いてくる。二人は共に都会で慌ただしく活躍する歌人。この時は都会の喧噪を離れ、静かなこの寺で、自然の美しさと音の心地よさを充分に満喫していたのだろう。


人物紹介
富田砕花 (一八九〇〜一九八四)
岩手生まれ。『明星』を始め様ざまな歌誌に短歌を発表し、歌集『悲しき愛』の粘り強い愛の歌で注目される。後に短歌以外にも詩を書くようになり、文語詩から口語自由詩に移行するようになる。詩を民衆に近づけることを主張する民衆芸術論の論者でもあった。民衆詩派になった大正8年(1919)頃、詩集『地の子』を出版。以後もいくつかの詩集を出版するが、活動は意外と控えめだったとされる。

水原秋桜子 (一八九二〜一九八一)
東京生まれ。医学博士。大学時代に高浜虚子の『進むべき俳句の道』で俳句を始める。卒業後も『ホトトギス』などに投句、窪田空穂からは短歌指導を受ける。大正10年(1921)『ホトトギス』に入選、虚子に会う。しかし昭和4年(1929)頃、虚子の”客観写生“に反発して決別。昭和9年『馬酔木』の主宰者となる。昭和20年の東京大空襲を機に医師を辞め、俳句一筋の生活に。42年に勲三等瑞宝章受賞。
名所を巡る

平泉寺は717年、泰澄が開山した白山神社のことを指す。かつて北条一族攻め滅ぼすほどの勢力を誇った。本殿の広さは正面約6m、側面約4m、壁には鶴や雁の浮き彫りがある。(勝山市平泉寺町)