テーマ別ナビ

松尾芭蕉コース 一覧へ戻る 戻る 次へ

気比神宮(敦賀市)
   
月清し遊行のもてる砂の上

名月や北国日和定なき


月も砂も天候も、気比の神に守られている。

 俳諧紀行文の名作である『おくの細道』の旅で松尾芭蕉が敦賀に着いたのは、ちょうど中秋の名月の前夜8月14日(陰暦)。敦賀での月見と気比神宮への参拝を楽しみにしていた芭蕉にとって、この日程は旅の中でも、かなり重要な位 置を占めていたはずだ。その証拠に、福井に入ってから詠んだ月をテーマにした句を「芭蕉翁月一夜十五句」として残している。
 明くる日の中秋の名月を夢見ながら、それでも宿の主人の助言(明日の月は明日の天気次第。今日の内に見ておいた方がいい)に従い、月を見に気比神宮へ出かけた。そこで目にしたのは、昔、遊行上人が海浜から運んだという白い砂だった。低湿地だった道は、遊行上人により救われたというのだ。「遊行上人の運んだ砂の上に清らかな月光がさしている、神々しさよ」。砂の白さに月の輝きが映えている様子を見た芭蕉は、何か不思議な神の力に包まれているように感じたのだろうか。
 そして明くる15日は、残念ながら雨。「”名月は敦賀で“ と楽しみにしていたのに、北国の天気は難しい」。あれほど月を思っていたのに、肝心のところで月に逃げられてしまった芭蕉。でも北陸の天候が突然悪くなるのは、その日だけではなかったはず。果 たして月見のできなかった芭蕉にとって、尊敬する西行ゆかりの地の敦賀は、どのように映り、感じたのだろうか。


人物紹介
松尾芭蕉 (一六四四〜一六九四)
 伊賀上野に生まれる。21歳、松尾宗房として俳句を発表。30歳の頃に江戸へ。俳句活動を続け、芭蕉号を用いるようになるのは40歳頃で、同時に全国各地への旅も始める。貞享元年(1684)『野ざらし紀行』に出掛け、同4年には『笈の小文』の旅へ。有名な『おくの細道』の旅は元禄2年(1689)3月に出発、同年9月に終了。その後も旅と共に生き、俳句を読み続けるが旅の途中で病に倒れ死去。

名所を巡る

気比神宮の祭神は伊奢沙別命で食物を司り、航海の安全を守っている。大鳥居は高さが11m近くもあり、日本三大木造鳥居のひとつ(重要文化財)。また遊行上人の事蹟は、砂持神事として残されている。(敦賀市曙町)

杉津パーキングエリア
「名月や〜」(上り)、「ふるき名の角鹿や恋し秋の月」(下り)の句碑がある。(敦賀市杉津)

おくの細道素龍清書本
国の重要文化財指定のおくの細道。一名を「西村本」といい、敦賀市の西村氏が所蔵している。