燧ヶ城跡で戦い敗れた武士の悲しみを知る。
福井で旧友の等裁と合流後、芭蕉は湯尾峠(南越前町)を越えて敦賀へと向かう。この湯尾峠の向こうにある今庄には、芭蕉が俳句の題材としてよく取り上げる古戦場、燧ヶ城跡がある。自分の身体の辛さや疲れよりも、ここで戦い敗れていった木曽義仲ら武士達を思う気持ちの方がより強かったのか…。
「義仲もこの燧ヶ城跡で夜半に目が覚めて月をめでたのだろう。でも今は義仲もなく、城もなく、ただ月だけがある。興亡の跡を思えば悲しい…」。
戦に終始した義仲の人生と旅を人生とする自分。時代は違うが、この場所と月の美しさはそれほど変わりはなく、月をめでる気持ちも同じ。義仲を始めとする武士達の悲痛な叫びを心で聞きながら、月の明るさとは裏腹に、暗い悲しさに打ちひしがれていたのかもしれない。
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松尾芭蕉 (一六四四〜一六九四)
伊賀上野に生まれる。21歳、松尾宗房として俳句を発表。30歳の頃に江戸へ。俳句活動を続け、芭蕉号を用いるようになるのは40歳頃で、同時に全国各地への旅も始める。貞享元年(1684)『野ざらし紀行』に出掛け、同4年には『笈の小文』の旅へ。有名な『おくの細道』の旅は元禄2年(1689)3月に出発、同年9月に終了。その後も旅と共に生き、俳句を読み続けるが旅の途中で病に倒れ死去。
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燧ヶ城跡は、寿永2年(1183)に木曽義仲軍が籠城し、平氏が落とした所。しかし翌年には源範頼・義経と戦い敗れた。(南越前町南今庄) |
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