天竜寺で味わう旅の出会いの喜びと悲しみ。
元禄2年(1689)、松尾芭蕉は『おくの細道』の旅に出た。この旅の目的は、西行の足跡を訪ねることだったとか。江戸から平泉(岩手県)、象潟(秋田県)を経て、金沢(石川県)そして福井へ。山中温泉で同行の曽良と別
れた後、金沢からは立花北枝と永平寺町松岡の天竜寺を訪ねた。
天竜寺には旧知の大夢和尚がおり、境内からの眺めも疲れを癒すに相応しい雰囲気と感じて、迷わず一泊することを決めている。しかし一方で北枝との別
れも確実に近づき、「不要になった夏の扇に無駄書きをして捨てようとするが、やはり名残惜しい。北枝との別
れもそうだなぁ」と、別れを惜しむ気持ちを詠んでいる。
芭蕉の旅は常に誰かを伴っている。だがここから福井の等裁の所までは一人。天竜寺の居心地の良さと和尚との再会の喜び、そして北枝との悲しい別
れに心揺れながらも、新しい出会いに向けて、芭蕉は歩き出したのであろう。
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蕉風俳人・哥川 (生没年不詳)
自然や月を愛し、それを見事なまでに表現した芭蕉の句は蕉風と呼ばれ、数多くの支持者を集めた。その蕉風を北陸を始め福井に広めたのが芭蕉の晩年の門人、各務支考(かがみしこう)である。彼は福井の各地で俳席を設け、蕉風を吹き込んだという。そしてもう一人、各務の後に福井で蕉風を引き継いだのが、三国の遊女で歌人でもあった哥川。代表作は「奥そこのしれぬさむさや海の音」。
松尾芭蕉 (一六四四〜一六九四) 伊賀上野に生まれる。21歳、松尾宗房として俳句を発表。30歳の頃に江戸へ。俳句活動を続け、芭蕉号を用いるようになるのは40歳頃で、同時に全国各地への旅も始める。貞享元年(1684)『野ざらし紀行』に出掛け、同4年には『笈の小文』の旅へ。有名な『おくの細道』の旅は元禄2年(1689)3月に出発、同年9月に終了。その後も旅と共に生き、俳句を読み続けるが旅の途中で病に倒れ死去。
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天竜寺は曹洞宗大本山永平寺の末寺。境内には芭蕉と北枝の銅像がある。(永平寺町松岡春日) |

天竜寺 立花北枝は蕉門十哲の一人で、北陸に蕉門を広めた人物(金沢の研ぎ師)。(永平寺町松岡春日) |
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