本隆寺でますほの小貝を探し、西行を想う。
芭蕉が旅の最終コースとして選んだ本隆寺と色ヶ浜。色ヶ浜といえば、西行の”ますほの小貝“の歌が有名で、芭蕉も西行のように小貝を拾ったのだろう。敦賀から船で色ヶ浜まで渡り、まず「この浜の静けさは、古来有名な須磨の秋の寂しさにも勝っている」と浜の心地よさを感じ、「波の引いた後の浜辺には、ますほの小貝にまじって萩の花がこぼれ散っている」と、ますほの小貝を愛でた句も詠んでいる。
ますほの小貝を拾い、色ヶ浜を眺めながら一夜を過ごす。波の音を聞きながらこれまでの旅を振り返り、尊敬する西行に思いを馳せていたのだろう。自然に触れ月を眺め、各地を歩き続けた芭蕉にとって、本隆寺で句会を催したことは、心身の疲れを癒す最高の演出であり、旅の土産として深く心に刻まれたのではないだろうか。
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松尾芭蕉 (一六四四〜一六九四)
伊賀上野に生まれる。21歳、松尾宗房として俳句を発表。30歳の頃に江戸へ。俳句活動を続け、芭蕉号を用いるようになるのは40歳頃で、同時に全国各地への旅も始める。貞享元年(1684)『野ざらし紀行』に出掛け、同4年には『笈の小文』の旅へ。有名な『おくの細道』の旅は元禄2年(1689)3月に出発、同年9月に終了。その後も旅と共に生き、俳句を読み続けるが旅の途中で病に倒れ死去。
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本隆寺はもともと金泉寺といい曹洞宗だったが、応永33年(1426)、色ヶ浜に疫病が流行り、それを見た尼崎本興寺の日隆が祈祷した。すると疫病が治まったため、村人が日隆を信じ、寺も本隆寺と改め日蓮宗に改宗したとか。本隆寺には芭蕉の句碑の他に、等裁の書も残されている。(敦賀市色浜) |

色ヶ浜
色ヶ浜を満喫した芭蕉と等裁は敦賀へ戻り、芭蕉は終着点の大垣へ、等裁は福井に出発した。(敦賀市色浜) |
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