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司馬 遼太郎
   
明智光秀の上昇志向を一乗谷朝倉氏遺跡に見る。

 『国盗り物語』には、木ノ芽峠などいくつかの場所が登場しているが、福井の中で舞台の中心となっているのは、一乗谷である。一般 的には、明智光秀が朝倉氏を頼り、福井に滞在していたとされている。同書では、明智光秀の武士としての上昇思考的発想や、その暮らしぶりが描かれており、それは、現代社会と重ねて見ることができる。その明智光秀の苦悩の様子が「光秀は彼の気位 を維持するためにはたとえ餓死しようとも教授料はとれぬと覚悟していた」と表現されている。フィクションではあるが、一乗谷の城下町の人々の生活が活き活きと描かれており、朝倉氏遺跡の武家屋敷復元跡にたたずむと、当時の賑わいが聞こえてくるようだ。
歴史上では、あまりよい見方をされていない明智光秀や趣のある武家屋敷復元跡も、『国盗り物語』を通 すと身近に思えてくる。
本の紹介
国盗り物語 (新潮社・1991年発行)
本書は、週刊誌に掲載されていた作品で、テレビ放映化され、大きな反響を呼んだ。作品は、乞食から美濃の国主にまで成り上がった斉藤道三について書かれる予定であったものが、その人気から長期の連載となった。その過程で斉藤道三の下で相弟子であった織田信長と、明智光秀が登場。”本能寺の変“までを二人を対比させながら描いている。
作者紹介
司馬遼太郎
(しば・りょうたろう)
大正12年(1923)大阪市生まれ。中学の頃、井伏鱒二の作品に影響を受ける。20歳の時、学徒出陣で満州に渡る。終戦後、新日本新聞社を経て、産経新聞社に入社。記者をする一方で『名言随筆・サラリーマン』を刊行する。37歳の時直木賞を受賞。以後38歳で退職するまで二足のわらじを履き続けた。執筆活動に入った後は精力的に書き続ける。平成8年、73歳で死去。


一乗谷朝倉氏遺跡
整然と区画整理された遺跡からは、当時の生活水準の高さがうかがえる。

復元町並
舞台となるのは一乗谷の城下町。現在は武家屋敷跡が復元され人気の観光スポットとなっている。(福井市城戸ノ内町)

明智神社
一旗揚げようと意気揚々と一乗谷に入った明智光秀だが、なかなか認めてもらうことができずに苦労する。写 真は住居跡と言われている明智神社。(福井市東大味町)

出世への道
光秀の出世の足がかりとなった、国境への道。