|
越前国を縦断する北陸の基幹道路。
北陸街道。この古道の名前は江戸時代まで越前国を縦断していた道のことだ。東海道などの五街道に次ぐ重要な街道(脇街道)であり、北陸における軍事、経済上の基幹道路であった。その距離は長く、近江国の関が原または鳥居本(彦根市)から北上してなんと陸奥国の三厩(青森県)まで続いていたという。
越前国への入口は柴田勝家が改修したという南越前町の栃ノ木峠で、ここから金津町の細呂木を通
って加賀国へと抜けていた。その長い道の途中には数多くの宿場町があり、宿泊や休憩をする旅人、荷物の運搬などで大いに賑わった。特に参勤交代の途中に大名行列が宿泊した時は、その宿場町はもちろん近郷の百姓も集めて対応したといわれ、大名が泊まる本陣を中心に宿場は大名の家臣たちで溢れかえった。
だが、残念なことに現在、かつての街道の賑わいを伝えるものはほとんど残っておらず、わずかに石碑や町並みがその名残を今に伝えてくれているのみだ。
板取は口留番所も置かれた北陸街道の要地。
越前の南の入口である栃ノ木峠もまた、残念なことに当時の面
影をほとんど残してはいない。かつては栃の木が繁茂し、峠には茶屋が置かれていたというが、今は樹齢500年の大きな栃の木が目印となっているだけの寂れた所になっている。また、この栃の木のすぐ下を通
っていた北陸街道はただの山道に変わり果てており、時代の流れを感じさせられる。
峠を下りると、越前最初の宿場町、板取宿がある。国境に近いだけあって北の細呂木とともに口留番所(関所)が置かれ、越前への出入国に目を光らせていた。周りにほとんど耕地などないこの宿の民は旅籠や人足の仕事だけで暮らしており、幕末に53戸もの家があったことから考えて当時は相当の賑わいだったことが分かる。現在は茅葺きの4軒の民家が建っており、公園やトイレを備えた観光スポットとなっている。板取の次は戸数300余軒という北陸街道を代表する宿場、今庄宿だ。その名残は町並みに色濃く残っており、大名や幕府役人などの位
の高い者が宿泊した本陣の建物や江戸後期建築の『京藤甚五郎家』、旅籠を営んでいたとされる『若狭家』なとがある。特に『京藤家』は今では珍しい卯建の上がっている建物で、水戸天狗党が宿泊した時、浪士が柱につけたとされる刀傷も残る貴重な建築物だ。『脇本陣(本陣につぐ格式ある宿)跡』や福井藩の藩札交換所であった『北村家』などがあり、街道で最もその雰囲気を留めている宿場といえる。
|
2ページ目へ
|
|
|

今庄宿
宿場町の名残を留めた町並みが今も残る。本陣跡や藩札交換所跡などもあり、散策がてら宿場の様子を偲ぶことができる(南越前町今庄) |

若狭家
江戸時代に旅籠をしており、屋根は檜皮で、飛ばないように石が乗せてあった。(南越前町今庄)
|

板取宿
初代福井藩主結城秀康の入国以来、関所が設けられ、往来者を取り締まった。板取番所といわれ、藩士が駐在し、弓矢や火縄銃を備えて厳重な警戒に当たった。今庄365スキー場近くにあり、冬ならスキー帰りに立ち寄りたい。(南越前町板取) |

京藤甚五郎家
塗籠の外壁と赤みの強い越前瓦の屋根の上に、卯建が上がっているのが特徴。水戸天狗党の浪士がつけた刀傷も残る。屋敷内見学可能。お問い合せ:南越前町教育委員会 0778-45-1111(南越前町今庄) |
|
|