テーマ別ナビ

北陸街道コース 一覧へ戻る戻る次へ

其の二 府中宿〜浅水宿(2)
   


水運の監視を担っていた上鯖江宿。

 府中宿の次は上鯖江宿だ。ここはすぐ近くに日野川を使って三国湊などへ荷の輸送をする、白鬼女と呼ばれる水運の重要地があり、この集落を監視する役割を担っていた。監視の内容は白鬼女で下ろすべき荷が下ろされないなどの違法な運搬がされていないか、報告通 りの積み荷になっているかなど白鬼女の水運を監視すること。なぜこんなことをするのかといえば基本的に宿場町が陸運による儲けで成り立っているためで、水運を多用されては宿場が存続しにくくなるからだ。つまり、白鬼女で荷物を下ろさずに水運だけを利用して荷を運ばれると、陸運に携わることによって利益を得る宿場は成り立たなくなる。だからそんなことにならないように上鯖江宿が水運を監視したというわけだ。
 しかし、利用する側にしてみれば、陸に比べ大量 に運べる上に費用も安い水運を使うのは当たり前のことで、時代が下るにつれ、北陸街道を使う陸運は寂れていったようだ。
 また、上鯖江宿は本陣や脇本陣、旅籠といった宿泊施設がまったくないという特徴を持っていた宿場であった。つまり、上鯖江は「間の宿」(中休みをする宿の意)と積み荷の中継と白鬼女の監視という特徴を持った宿場であったのだ。

伝統ある寺社が残る2つの宿場町。

 続いて街道は水落、浅水と北上していく。水落はもともと現在の鯖江市の鯖江警察署あたりに集落があったようだが、柴田勝家に始まる北陸街道の直線化工事をきっかけにして神明社周辺に移ったようだ。もともと、このあたりには人家があり、これと合わさって水落町となったといわれている。位 置的に南の上鯖江宿と浅水宿の中間にあることから、江戸時代を通 じて荷物運送の中継ぎや旅人の休息の宿としての色合いが濃い宿場であった。また、丹生郡方面 への道(浜街道)もすぐ近くで街道に合流することから、そこからの荷や人も合わさってかなり賑わったようだ。すぐ近くには神明社もあり、付近の住民などが参詣するなど信仰の町でもあった。  浅水は古代に駅制による駅があったとされるなど古くから重要な宿場であった。明治5年には51戸、260人がいたとの記録が残っており、これから考えて江戸時代の浅水宿は街道の中でも中ぐらいの規模だったようだ。福井城下まで約6・8kmという近さもあって宿泊よりも休憩や荷物の運搬によって成り立っていたらしい。当然本陣もあったが今は残っておらず、門のみが福井市南居町の陽願寺に移築されている。近くには泰澄の生地に建てられたとされる泰澄寺もあり、近在から参詣にくるなど信仰の町という一面 もあった。

1ページ目へ
名所を巡る
神明社
安康天皇の時代(5世紀半ば頃)の勧請と伝えられる由緒ある神社。本殿と中雀門は貞享5年(1688)に建てられている。(鯖江市水落町)

旧瓜生家住宅
国の重要文化財。神明社の神官であった瓜生家の屋敷跡。(鯖江市水落町)

植田家長屋門
鯖江藩で代々家老を務めた植田家の長屋門跡。(鯖江市旭町)

朝六つ橋
この辺りで西行や松尾芭蕉も歌を詠んだ『あさむつ橋』。現在は彼らの歌碑が立っている。ちなみに「あさむつ」の地名は新田義貞の妻である勾当内侍に縁がある。(福井市浅水二日町)

用水
府中宿には南北に町用水が流れていたが現在は暗渠になっている。写 真は当時の面影を偲ぶことのできる用水。 (越前市桂町)