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丹後街道コース 一覧へ戻る次へ

若狭国を横断する幹線道路の歴史に 武士たちの攻防の足跡をたどる。
敦賀〜高浜(1)
   


東の椿峠と西の吉坂峠は若狭国を守る最大の要衝。

 丹後街道とは若狭国を横断して越前国の敦賀から丹後国の田辺(現京都府舞鶴市)または宮津(同宮津市)へと通 じていた街道のことだ。小浜から日笠(若狭町上中)の間は若狭街道と重なっているが、現在の国道27号線とほぼ同じ路線に存在していたようである。古代には若狭国府(現小浜市)から松原駅(現敦賀市)の間に官道がはしっていたことが分かっており、弥美(現美浜町郷市)と濃飯(現若狭町上中玉 置)の2駅があったといわれる。このように丹後街道は若狭国を通 る重要な道として古来より使用された若狭国の基幹道路であったのだ。
 特に戦国時代は街道が通る椿峠(美浜町)と吉坂峠(高浜町)近辺でしばしば合戦が行われたことで有名で、当時若狭国を治めていた武田氏が国を守る東西の要衝として重要視していたことが分かる。ちなみに椿峠近くには佐柿国吉城(現美浜町)があり、粟屋氏が朝倉氏の大軍から守り通 した戦いがよく知られている。元亀元年(1570)には織田信長が朝倉氏攻撃の基地として借用しており、このことからも椿峠一帯が若狭を支える要衝であったことがよく分かる。一方、吉坂峠では永禄9年(1566)に逸見駿河守が丹後の兵を迎え撃っており、他にも度々若狭と丹後の諸勢力が戦っている。
 近世に入ってもこの2つの峠は重要であったようで、小浜藩は佐柿に陣屋、吉坂峠の麓の蒜畠(高浜町)に口留番所(関所)を置き、領地支配の要となっていた。

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名所を巡る
柴田氏庭園
甘棠園(かんとうえん)というこの庭園はL字状に園池が配され、中島があり土橋が架けられている。国の名勝に指定されている。(敦賀市市野々町)

国吉城跡
粟屋越中守勝久が朝倉氏の大軍を相手に籠城した城で、城山(標高197m)にあった。(美浜町佐柿)

関峠
越前国と若狭国を分ける峠。(敦賀市、美浜町)

追分
右へ行けば丹後街道を通って小浜方面 へ、左へ行けば近江国へ至る。(敦賀市野神)