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統治のため要地に置かれたお茶屋。
ところで、丹後街道の起点の敦賀だが、江戸時代には小浜藩のお茶屋(陣屋)が置かれ、敦賀を治めていた。この建物の近辺には町奉行や代官の屋敷などもあり、いわば敦賀の政治の中心といえる場所になっていた。街道はこのお茶屋の前から始まっており、まず南へと向かって市野々(敦賀市)に出、ここから西へと延びていた。当時の敦賀湊は日本有数の湊町であり、畿内に通じる西近江路などの数本の街道は荷を積んだ馬借などが激しく往来したといわれている。残念ながら西へと向かう丹後街道は、この賑わいとあまり関係なく、人馬の通行はそれほど多くはなかったようである。
西へと向かった街道は金山(敦賀市)を過ぎ、越前と若狭の国境にある関峠に至る。ここはその名の通り、古代に関があったという言い伝えがある重要な場所。戦国時代には先述の椿峠を武田氏、この関峠を朝倉氏が確保して覇を競ったといわれ、時代が下ってもやはり要衝であった。続いて街道は椿峠、町奉行が置かれた佐柿を経て遠敷郡に入る。続いて日笠で若狭街道と合流し、小浜に至る。小浜は酒井家12万3500石の城下町であり、小浜湊もある若狭随一の町であった。寛永8年(1631)には1335軒、その約30年後には約4000軒という家数を誇る賑やかさであったという。
さらに西へ向かうと勢坂を越えて大飯郡に入り、お茶屋(陣屋)が置かれるなど、郡内の政治、経済の中心であった和田(高浜町)に着く。そしてさらに西進すれば町奉行所が置かれた高浜、女留番所が設けられていた蒜畠(高浜町)を通り、吉坂峠を越えて丹後に至る。若狭国を横断するこの街道はこうして国の外へと抜けるのだ。
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宇波西神社
毎年4月8日に行われる例祭神事「王の舞」で有名。この例祭は国の選択無形民俗文化財に指定されている。(若狭町三方気山) |

蒜畠女留番所跡
入鉄砲と出女を監視する役目を担っていた。他にも疋田(敦賀市)や粟柄(美浜町)、熊川(若狭町上中)などにもあったという。(高浜町蒜畠) |

道しるべ
捨てられていた道しるべをここに移したとされる。(高浜町立石) |

休屋
丹後街道沿いにあったという休屋。旅人が休憩していた。(高浜町関屋) |

お茶屋跡
建敦賀の政治の中心として機能していた。現在の敦賀西小学校の敷地にあったといわれ、周辺には奉行所や代官所も置かれていた。(敦賀市結城町)
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道しるべ
福井県立若狭歴史民俗資料館の敷地内にある。かつては小浜市和久里に建てられていた。(小浜市遠敷) |
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