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馬借が活躍した府中と敦賀を結ぶ道。
最後に西街道だが、この道は馬借街道ともいわれ、府中(現越前市)から日本海岸の甲楽城または今泉(どちらも現河野村)に通
じていた。『宇治拾遺物語』にその名前が見えることから、平安時代以前から存在していたようだが、盛んに利用されるようになったのは戦国時代、朝倉氏による大改修以後と考えられている。この頃には甲楽城への道はほとんど使われなくなっており、府中から広瀬、湯谷(どれも現越前市)、今泉へと抜ける道が主流になっていた。
運ばれていた物は府中から今泉までが五箇(現越前市)の奉書紙、府中の刃物、米などで今泉からは塩、古着、魚、鉄など。これらの荷は馬借と呼ばれる運送業者が取り扱っていた。馬借街道という名称はこの馬借の活躍に由来しており、このことからも彼らが大きな力を持っていたことが分かる。
敦賀と今泉の間で舟運が利用でき、また北陸街道などの他の道を使うよりも日数、費用の面
で割安になったためこの道はよく利用され、江戸時代前期に最盛期を迎えたといわれている。現在はかつての街道の原形を留めている貴重な道として、越前市から史跡に指定されている。
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三峯城址
新田義貞の弟である脇屋義助が築城した城。朝倉氏の時代にも城があったといわれる。(鯖江市上戸口町) |

鞍谷御所址
応仁の乱勃発の一つの原因をなした斯波義廉の子孫が住んだと伝えられる。(越前市池泉町) |

明智神社
明智光秀が住んでいたと伝えられる場所に建ち、光秀を祀っている。(福井市東大味町) |

小丸城址
天正3年(1575)に織田信長の武将である佐々成政が築城した平城。(越前市五分市町) |

追分
左に行けば馬借街道に至る。(越前市広瀬町) |
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