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奥越地方へと通じる2つの街道に 大野、勝山両城下の歴史を知る。
其の二 美濃街道、勝山街道
   


美濃、勝山両街道は奥越地方の幹線道路。

 江戸時代、福井から奥越地方へ通じる街道としては、美濃街道と勝山街道があった。どちらも古くから越前国内の重要な街道として知られ、奥越と福井を結ぶ経済的な幹線道路でもあった。ここではこの2つの街道の歴史を紹介をすることにしよう。
 まず美濃街道だ。この道はその名の通り美濃国(現岐阜県)へと向かう街道である。今庄町の高倉峠越えと池田町の冠峠越えもその名で呼ばれていたが、最も重要なのが九十九橋から油坂峠(和泉村)へと至る道であった。この道は越前の搦手として、軍事的にも重要視されていた。大野までは現在の国道158号線とほぼ同じあたりを通 っており、大野から美濃国境へは数本のルートがあったといわれている。美濃郡上藩の藩領が大野郡内に置かれると、郡上八幡(岐阜県)へと運ぶ年貢米の輸送に大きな役割を果 たし、また大野藩の参勤交代にも利用されるなど江戸時代を通 じて重要な街道であった。
 次に勝山街道だが、この道は福井、勝山両城下を結んだ街道で、現在の国道416号線にほぼ相当する。九頭竜川に沿うように道が通 っており、小舟渡(永平寺町と勝山市の境)で川を渡って福井藩領から勝山藩領へと入った。勝山藩は度々領主の交代があった藩だが、元禄4年(1691)の小笠原氏の入部以降は安定しており、2万2777石で勝山を治めていた。現在の勝山市街はこの小笠原氏の城下町整備によって発展した町であり、城は今の勝山市役所の敷地に存在していた。ちなみにこの小笠原氏は源氏の名門であり、武家故実小笠原流(武家の儀式や作法の習慣や規定)の一門でもある。
 また、松岡藩のあった時代には本藩である福井藩との連絡のため、街道がよく整備されていたといわれており、それゆえか福井城下と松岡までを結ぶ道は松岡街道ともいった。

名所を巡る
寺町
大野城下には寺院が集中して建つ一角があり、そこから寺町という名前が付いた。江戸時代とほぼ変わらない用水が今も町中を流れている。(大野市錦町)

勝山城跡
宝永5年(1708)に築城が許された小笠原氏の居城。ただし、度々の火災で城は完成しなかった。勝山市役所の敷地にあった。 (勝山市元町)

神明神社
神社社務所は勝山藩の藩校である成器堂の講堂として使われていた建物。(勝山市元町)

小舟渡橋
福井城下から勝山城下へと向かうには小舟渡で舟に乗り、九頭竜川を渡らなければならなかった。写 真は現在架かっている小舟渡橋。(勝山市下森川町、永平寺町藤巻)

薬師神社
「御薬師湯並ニ御宿仕ル」と書かれた碑が建つ。かつてここに宿があり、病気や災いを防ぐ薬師湯があったと考えられている。(福井市薬師町)