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河野浦を支えた北前船主右近家と中村家。
三国と同様に河野もまた長い歴史を持つ海陸の要衝地だ。敦賀と海路で繋がり、越前国府のあった府中(現武生市)と西街道で通
じていたため、古くからその名が知られていた。江戸時代後期になって北前船交易が隆盛を迎えると、河野もまたその時流に乗って、大きく財をなす者が現れるようになってきた。その代表が右近家と中村家である。もともとは蝦夷地に利権を持つ近江商人の荷所船(雇われて荷物を運ぶ船)として活動していたのだが、18世紀の半ばになって近江商人の地位
が低下すると、買積みの比率を高めて航海し、成功したのだ。右近家は9代目権左衛門の時に最も成長し、日本海岸有数の北前船主になっているが、それは巧みな操船技術と多様な情報収集を通
した廻船経営の見事なノウハウを活かしたことが大きかったようだ。
北前船は明治中期になって鉄道や汽船の普及でその存在価値をなくし、急速に歴史の舞台から消えていく(ただし、右近家はいち早く蒸気船に切り替えて、近代船主へと脱皮している)。そして河野浦もまた北前船と時を同じくして要地としての価値を失っていった。
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中村家屋敷
右近家と並ぶ河野湊の豪商中村家の屋敷。(南越前町河野) |

特務艦関東
遭難慰霊碑
大正13年(1924)に特務艦関東が遭難し、乗員207人中97人の死者を出した事故の慰霊碑。冬の海に投げ出された兵士たちを糠地区の婦人たちが「人肌救助」で温め介抱した活躍は有名。(南越前町糠) |

磯前神社
船主や船乗りが航海の安全を祈願して奉納した数多くの絵馬が残る。境内の石灯籠は右近家の船頭たちが奉納。(南越前町河野) |

三国湊口留番所跡
湊へ出入りする商品を監視し、津留を励行した福井藩の役所の跡。(坂井市三国町神明) |

丸岡藩蔵跡
滝谷村の湊進出の試みを支援するため丸岡藩が置いた蔵の跡。(坂井市三国町滝谷) |
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