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古来より大陸や朝鮮半島との関係が深い湊。
敦賀、小浜の2つの湊は、都を中心とした畿内との関係において歴史的に重要な役割を果
たしてきた湊だ。日本海を経て運ばれてきた租税や海産物、日用品などの荷はこの両湊に荷揚げされ、街道や琵琶湖の水運を使って京へと運送されていた。いわば京への物流の拠点であり、北の玄関口ともいえる役割を果たしていたのだ。ここではこの両湊の歴史を江戸時代を中心に紹介することにしよう。
まず敦賀湊だ。任那の王子ツヌガアラシトの渡来伝説が残るように、この湊は古来より朝鮮半島と深い関係があり、大陸とも渤海使接待のための松原客館も置かれるなど結び付きが強かった。
また、このような外国との関係だけでなく、古来より近世まで都への物流の拠点として栄えた。特に江戸時代初期が最盛期で、松前(現北海道)、津軽(現青森県)といった日本海沿岸の各地から様々な船がやって来ていた。荷揚げされるものとしては米、大豆などの穀物類、材木や海産物といった北国各地の特産物などで、大部分は京、大坂で消費、加工されるものであった。逆に船積みされるものは茶や畿内各地の特産物であり、敦賀から北国へと輸送されていったという。湊にはこれらの商品を扱う商人が多数おり、特に諸藩から委託されて米を運送したり売却したりする役割を果
たした蔵宿の数の多さは敦賀の経済的な重要性を裏付けるものであった。
しかし、敦賀湊の繁栄は寛文11年(1671)の河村瑞軒による西回り航路(関門海峡、瀬戸内海を経由して大坂と直接つながる航路)の整備以降は畿内への中継港としての重要性が薄れ、次第に衰微していった。
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気比神宮
古代より朝廷、武家、海運業者等の信仰が篤い神社で、越前国一の宮であった。古代には愛発の関、松原駅、松原客館を国司に代わり管理、中世には北陸地方を中心に約24万石という広大な社領社家領を有していた。現在、大鳥居は国の重要文化財の指定を受けている。(敦賀市曙町) |

旧獣類検疫所
大正5年(1916)建築。ここで陸揚げされた獣類の検疫を行っていた。典型的なコロニアルタイプの建物。(敦賀市縄間) |

常宮神社
社号が神功皇后の「常に宮にいて、波風静かで楽しい」の故事によるという古い歴史を持つ神社。織豊時代の敦賀城主であった大谷吉継奉納の朝鮮鐘は国宝に指定されている。(敦賀市常宮) |

州崎の高灯籠
享和2年(1802)に建てられた灯籠。日本海側最古のもので、灯台の元祖でもある。(敦賀市川崎町) |
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