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東郷の町並み 中央に水路がある。昔ながらの商店や町屋を楽しむぶらり歩きに、東郷の町はいい頃合。(福井市東郷二ヶ町)
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水路のある町並みに見る戦国期からの歴史。
東郷は、鎌倉から戦国期にかけて見える荘園名。開発の年代などは定かではないが、整然とした条里として整備された土地に対して東側にあたること、が地名の由来らしい。
鎌倉時代は摂政も務める一条家が所領。貞治5年(1366・南北朝期)には斯波高経誅伐の功で、朝倉高景に地頭職が与えられた。ここから朝倉氏は東郷近辺に根をおろすようになる。
やがて朝倉氏は一条家領の代官となるが、応仁の乱以降は朝倉孝景がその地を押領。本来の当主・一条兼良は返還をもとめて一乗谷を訪ねるが、果
たされなかった。
朝倉氏が一乗谷に拠点を移した頃から町として発展を始めた東郷。朝倉氏滅亡後には織田信長の家臣である長谷川秀一が入封している。江戸期には大野街道の交わる要衝となり、大野藩士の参勤交代路、北陸街道への近道として人馬が盛んに往来し、多くの商家が軒を並べていたという。
現在も旧道の中央を水路が走り、往時の面影を伝える。司馬遼太郎の「街道をゆく〜越前の諸道」に”美しい在所“
とも記された。
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槙山城跡
山城は一乗谷初代の朝倉孝景が西の出城として築いた。現在の城跡は公園になっている。(福井市栃泉町)
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熊野山
朝倉氏景が勧請した熊野山。ここから朝倉氏と一乗谷の関係が始まったとされる。(福井市深見町) |

永昌寺
東郷の寺院は朝倉氏との縁が深い。永昌寺は朝倉孝景の妻の法名にその名が由来する。(福井市東郷二ヶ町)
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霊泉寺
朝倉孝影の子、影儀が開いた霊泉寺。朝倉氏滅亡後の槇山城主となった長谷川秀一の墓もある。(福井市東郷二ヶ町)
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