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海の町の清流・耳川沿いの、 古墳や神社に古代への思い彷彿。
耳〔弥美〕コース(美浜町) 一覧へ戻る戻る次へ

 
   
耳川 多くの川魚が棲む上流は、渓流釣りファンに人気のスポットだ。(美浜町佐野)


渡来文化も色濃く残る、支配者の遺跡。

 美浜町の耳川流域周辺を指す地名、耳。地名の由来は定かではないが、発祥は古く、藤原京跡から出土した木簡に「耳」「美々」などと記されている。
 耳川の右岸、御岳山西側の麓にある弥美神社は、大宝2年(702)に神々が天降り、創始したと伝わっている。ここに祀られている室毘古王は、『古事記』によると若狭耳別 の祖とされており、この若狭耳別がこの地を支配していたらしい。
 JR小浜線美浜駅に近い「獅子塚古墳」の被葬者が、室毘古王とも伝わっている。九州北部に多い構造の横穴式石室、赤い顔料が塗られた玄室など大陸からの文化も偲ばせ、貴重な遺跡とされている。
 当地を流れる耳川は、暴れ川でもあった。上流に神社を祀ってから流れが定まり、近世以降は多くの堰も造られた。  時には水をめぐる対立も。京都の角倉氏らが久々子湖に近い大藪村の新田開発に耳川の水を利用しようとしたが、周辺農民が大反対。寛文3年(1663)に小浜藩士・行方久兵衛が従来の水利を保証、荒井用水が造られた。



弥美神社
若狭耳別が創始したといわれる神社。毎年5月1日に行われる祭礼で奉納される「王の舞」が有名。(美浜町宮代)

獅子塚古墳
古墳時代後期初頭、6世紀前半のもの。ここで出土した角杯形須恵器などが東京国立博物館に保管されている。(美浜町郷市)

園林寺
弥美神社の南側にある。泰澄作と伝わる十一面観音像が本尊。守護大名武田氏の祈願寺でもあった。(美浜町宮代)

石地蔵
戦国時代に焼失した園林寺の諸坊にあった石地蔵が、現在は公会堂前に集められている。(美浜町宮代)