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| 継体天皇想像図(福井市立郷土歴史博物館蔵)
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川を治め産業を興し、越前千五百年の歴史の舞台を築く。
第26代継体天皇こと男大迹王。父は近江の豪族・彦主人王、母は越前の豪族の娘・振媛と『日本書紀』は伝える。幼少時に父を亡くし、母の故郷・越前の高向で育った。
男大迹王が57歳の時、継嗣のない第25代武烈天皇が死去。そこで大和の豪族大伴金村によって王が越前から招かれ、河内の樟葉宮で即位
する。高齢での即位。遷都を重ね、大和に都を定めるまで20年を費やしたこと。筑紫国造磐井の反乱や、朝鮮半島の任那を百済国に割譲するなど、内外の問題が山積した政局にどう対処したのか……。継体天皇にまつわる謎は多く、今も議論は尽きない。
ただ、当時の越前は稔りゆたかで、大陸との交流から製鉄などの技術も発達したようだ。つまり”先進地“だったことが、男大迹王を中央に押し出した要因の一つであることは間違いないだろう。越前平野の治水、笏谷石の採掘などの伝説が残り、その偉業は今日も郷土の発展を支える。
今も多く残る伝説によると、即位前の王は水害に悩まされていた越前の地の、治水事業に尽力したという。災害をもたらす悪龍に矢を放って退治。その矢が戻ってきた場所が立矢町(現・福井市足羽一丁目)、その時手にしていた笏を捨てた場所が笏谷――など、地名に関わる説話も興味深い。
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足羽山の石像は昭和23年の福井地震で破損したが、間もなく再建。雄々しい表情ながら
大きな頭が何ともユーモラスで、親しみを感じる傑作だ。
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足羽神社
足羽山にある継体天皇を祀る神社。(福井市足羽) |

継体天皇像
足羽山山頂で今も郷土の発展を見守る天皇像。明治期に福井の石工らによって作られた。(福井市足羽上町) |

皇子ヶ池
天皇の皇子の産湯に使われたと伝わっている。(越前市粟田部) |

薄墨桜
継体天皇が上京するとき形見に残したといわれる。世阿弥の「花筐」にも記載がある。(越前市粟田部) |
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