岩に刻まなくとも、偉業と共に今に残る久兵衛の名。
三方五湖の水月湖と久々子湖を結ぶ浦見川は寛文2年(1662)の大地震の水害をきっかけにつくられた排水路だ。その開削工事の総奉行が小浜藩の郡奉行だった行方久兵衛である。固い岩盤に妨げられるなど工事は難航し、人夫が無気力になったり、ののしられたりもしたが、越前や京都から石工を呼び寄せるなどの手を尽くしてなんとか工事を完成させた。
着工から約2年の歳月の後、述べ22万5000人もの人手と米3459俵、銀100貫を要した大工事の末に浦見川は周辺の約400石もの新田と共に完成した。この功で久兵衛は100石加増され勘定奉行となり、その後も様々な開発に力を注いだ。
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工事が進まないことに腹を立てた人夫たちは「掘りかけて通
らぬ水の恨みこそ 底行方のしわざなりけり」といった皮肉の歌を詠んだという。 |
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石碑
宇波西神社に建つ石碑。「行方久兵衛翁頌徳碑」の文字が刻まれている。(若狭町三方気山) |

ます形
浦見川の岩壁に刻まれた長方形のます形。これは工事の完成を記念した久兵衛がその名を刻もうとして止めた痕だという。(若狭町三方気山) |

浦見川
全長324m、山頂から川底まで41mという人工水路・浦見川。今や多くの人々が遊覧船に乗って景観を楽しむ観光地になっている。(若狭町三方気山)
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三方五湖
久兵衛が三方、水月両湖の排水路である浦見川を造ったことにより、湖辺に約400石の新田が拓かれた。(若狭町三方、美浜町)
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