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杉田玄白が幼少の時を過ごした町・小浜を旅する。
杉田 玄白(1733〜1817)
   
杉田玄白画像(早稲田大学図書館蔵)

鎖国時代にオランダ医学と解剖を取り入れた医聖。


 「解体新書」を著した近代医学の先駆者・杉田玄白。彼は江戸生まれであるが、小浜藩医をしていた父・杉田甫仙に伴われて、8歳から13歳までを小浜で過ごした(70歳になって書いた随筆『形影夜話』には当時玄白が小浜で知りあった人々のことが記されている)。父の後を継いで侍医になった玄白は『ターヘル・アナトミア』というオランダの解剖学の本を手に入れた。オランダ語はさっぱり分からないが、日本や中国の五臓六腑の図とは異なるその付図を、本物の人体と比べたいと思う玄白。後に小浜藩医・中川淳庵や中津藩医・前野良沢らと共に死体の解剖に立ち会う機会を得た彼は、付図の正確さに驚き、この本を翻訳して世に役立てようと決心する。玄白39歳の時であった。

一冊の解剖書から玄白の新たな人生が始まった。


 翌日から早速翻訳に取りかかった3人であったが、「眉というものは目の上方にあるものなり」という一文すら丸一日かかっても分からない有り様。それでも1ヶ月に7回ほどは必ず集まって勉強し、不明なところは動物の解剖を行ったり、通 訳の者に聞いたりしながら進めていった。”軟骨“や”神経“といった言葉はこの時に彼らがつくったものである。こうして4年の月日を経て安永3年(1774)、日本最初の本格的西洋医学翻訳書『解体新書』は完成した。従来の五臓六腑説とはかけ離れたこの本の出現に当時の人々は非常に驚いたことだろう。
 その後も玄白は様々な医学書の翻訳や『蘭学事始』などの執筆活動を続けながら、弟子の育成や医療の向上に力を尽くして、日本の医学の近代化に大きく貢献した。


こぼれ話
 玄白の苦労の軌跡をたどった『蘭学事始』の写 本を読んだ福沢諭吉は泣いて感動し、学問の継承・保存の為にこの本を世に出版した。
名所を巡る

宮川の石の不動明王
小沢寺地区の小川にそって徒歩で15分程登っていくと、滝の壁面 に安置された不動明王がある。[杉田家略譜]に「・・また石の不動明王一体同国宮川村瀧の口に納む」とあり、この不動明王のことだと推測される。(小浜市小沢寺町)

杉田玄白の銅像
小浜病院の前にある杉田玄白の銅像。生前の玄白を忠実に再現して建てられた。(小浜市大手町)

羽賀寺
玄白の父・甫仙は信心深い人であり、縁故のある寺に仏像や田畑等を寄進している。ここ羽賀寺にある弁天像も甫仙が収めたものだといわれている。(小浜市羽賀)

面山顧彰碑傍らの小碑
曹洞宗中興の祖といわれた学僧・面 山瑞方和尚が隠居していた永福庵跡地にある卵形の碑。和尚と交流のあった玄白の父・甫仙が彼のために助力したことが記されている。(小浜市上野)

空印寺
小浜で亡くなった、玄白の兄と義母の墓がある。(小浜市小浜男山)