 | (上)内山良休画像(内山良休翁略伝碑文より) (下)内山隆佐写真(内山良治氏蔵) | 地域振興、財政赤字に”大野屋“チェーンを展開。 幕末の頃は全国のどの藩も赤字財政にあえいでいた。この打開策に登場するのが”名君“と有能な部下たち。有名なところでは、福井藩主松平春嶽と橋本左内や横井小楠ら。そして大野藩では7代藩主・土井利忠に仕えた内山良休、隆佐兄弟が大ナタを振るい藩を立て直したのである。 利忠は天保13年(1842)人件費を削減するリストラ策である「更始の令」を発布。後に抜擢された良休は、大野藩の地場産品を売り出して富を蓄えることを提案。安政2年(1855)以降、越前各地や大阪、箱館などに”大野屋“を開き、流通 網を整備した。今でいうチェーン店のはしりである。先見の明のあった利忠は藩校や洋学館の設立、軍政改革、面 谷鉱山の藩営化なども打ち出し、良休が実行に移した。これにより、藩財政は見事に立直ることになる。 蝦夷地を探検、”外圧“を肌で感じて幕府に進言。 弟・隆佐は安政2年(1855)に幕府が蝦夷地開拓の希望を募った際、藩主に応募を進言。洋式帆船”大野丸“を率いて蝦夷地に渡り、現地調査や開拓を指揮した。折しも南下政策をとるロシア帝国が、樺太へも標的を定めていた時期。隆佐は当地の開拓や警備の必要性を幕府に訴えるなど海外の情勢にも通 じていた。箱館滞在記『内山隆佐日誌』は、各国の貿易船出入り事情も詳しい。 隆佐は元治元年(1864)に死去。兄の良休は維新後 ”良休社“を設立し、士族の生活 安定にも尽力している。 |  | 藩船大野丸は箱館滞在中の安政6年(1859)、奥尻沖で座礁 した米国商船を救助した。のちに米国から謝礼が贈られている。 | |   旧内山家 内山家の屋敷。2人の業績を偲ぶ資料なども展示している。 4月〜10月の土日・祝日には抹茶サービスも。武家屋敷旧内山家 0779・65・6122(大野市城町) |  大野丸 大野市歴史民俗資料館に展示されている洋式帆船大野丸の模型。(大野市天神町) |  大野城 金森長近が築いた大野城は天和2年(1682)、土井利房が入城。以来明治維新まで土井氏が藩主となる 大野城 0779・66・0234(大野市城町) |  柳廼社 幕末の大野藩を治めた7代藩主・土井利忠を祀る神社。大野城の麓にある。境内の建物は旧裁判所で、現在は民具などを展示する郷土歴史館となっている。(大野市城町) |  明倫館跡 天保14年(1843)に開設された藩校・明倫館は内山隆佐らが世話役を務めた。有終西小学校敷地内に建つ。(大野市明倫町) |  洋学館碑 亀山駐車場近く。緒方洪庵が開いた大坂の適塾から伊藤慎蔵を招いている。(大野市城町) | | |