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財政危機の救世主。近代日本初の蔵相の足跡をたずねて。
由利 公正(1829〜1909)
   
由利公正写真(福井市立郷土歴史博物館蔵)

横井小楠に教えを請い、殖産興業で藩財政再建。


 松平春嶽の命を受け、財政難の福井藩を再建した実務家が三岡八郎こと由利公正。明治維新の後は中央にも進出し、国家財政にもその手腕を発揮する。
 藩士の子として生まれたが、藩同様家計もあまり楽ではなかったという公正。倹約に長けた母を助けながら武芸に励んだ少年時代も、経済感覚を育んだのだろう。
 嘉永4年(1851)には熊本藩士である横井小楠が来福。”経世済民“に共鳴した公正は、小楠に師事。産業の振興をはかって富を蓄える”殖産興業“を推進し、藩財政再建に取り組んだ。
 下関の物産取引の実状を調べ、長崎ではオランダ商館と生糸の販売特約を締結。福井では藩札を発行し、生産者に融資した。これら公正の富国策は成功し、莫大な借金を抱える藩財政を黒字に導いた。

龍馬に見いだされ、政府要職を歴任。


 藩政で見せた公正の才覚に目をつけたのが、幕末の志士坂本竜馬である。福井に公正を訪ねた竜馬は、新政府の参与に公正を推挙。「御用金穀取扱方」、今で言う大蔵大臣に初めて公正が就任した。倒幕を果 たした新政府財政も、以前の福井藩同様苦しいもの。公正は政府初の紙幣を発行し、財政再建をはかる。
 明治政府の施政方針”五箇条の御誓文“の草案を起草したこともよく知られている。「広く会議を興し万機公論に決すべし」の精神は、活発な議論を繰り返した福井藩での体験が生きている。明治4年(1871)、初代東京府知事に就任。同7年には『民選議院設立建白書』に署名し国会開設を主導した。薩長土肥が大半を占める新政府にあって、要職を務めた福井出身の公正。その才能の非凡さは、藩閥をも超えるものであった。


こぼれ話
 公正は東京府知事就任後、大火災に遭った東京の都市計画も手掛ける。随一の繁華街・銀座通 りの一角に、今も公正の業績を讃える記念碑が残る。
名所を巡る

旧宅跡
幸橋南詰めに、碑が残る。(福井市毛矢)

横井小楠宅跡
公正の師・横井小楠の住まい。幸橋南詰の公正宅に対し、北詰にあった。(福井市中央町)

旧たばこや界隈
来福した坂本竜馬は、照手の旅館「たばこや」で公正と会見。残念ながら現在は残っていない。(福井市照手)

幸橋
足羽川にかかる幸橋の架橋に、公正も尽力している。(福井市毛矢・中央)

内堀公園
東屋が設けられ、散策のひと休みにいい。小楠・公正師弟のブロンズ像が肩を並べている。(福井市大手)