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“農民の父” “治水の神様”を生んだ鶉の里を訪ねて。
杉田 定一(1851〜1929)
   
杉田定一写真(福井市立郷土歴史博物館蔵)

弾圧にも屈せず、板垣退助らとともに自由民権運動。


 福井が生んだ偉大な政治家として有名な杉田定一。薩長閥が跋扈する明治の政界で活躍し、衆議院議長にまでのぼり詰めた。
 定一が5歳の時に、母が病死。妻を亡くした父・仙十郎は供養のために自費で学校を作るが、身分不相応と罰され、大庄屋の身分を剥奪された。10歳で三国の瀧谷寺に預けられ、師の道雅上人から定一の名と”鶉山“の号を受けた。
 その後福井の吉田東篁に学び、江戸や大坂などに遊学。次第に政治へ傾倒し、自由民権運動へ没頭してゆく。明治8年(1875)「采風新聞」を創刊するが弾圧を受け、逮捕。これを含め言論弾圧による定一の逮捕は3回に及ぶが、同志・板垣退助らとすすめた運動は実を結び、明治14年、国会開設の勅諭が発せられた。

地租改正運動、治水工事で“農民の父”とも。


 華やかな国政活動だけが杉田定一の業績ではない。地租改正条例が明治6年(1873)に公布されると画一的な税率に多くの農民が苦しむことになった。そこで税率の再改正を求める運動の先頭に立ったのが、定一と父・仙十郎で、県庁に何度も足を運んで訴えた。
 明治14年に福井県が誕生し、県議に当選した定一は初代副議長に。同22年の第1回総選挙で代議士となり、第10回総選挙まで(第4回のみ不出馬)連続当選を飾った。
 この間、九頭竜・日野・足羽の3大河川改修工事を政府に要請。芦原温泉振興のため、国鉄三国線(金津〜三国間、現在廃線)の実現に向けても奔走した。明治39年には衆議院議長に。国と郷土に尽力した定一を今も先生と慕う福井市の鶉地区を歩けば、その偉大さが伝わってくる。


こぼれ話
 定一の活動を支えたのが父・仙十郎。田畑を手放し金策に走る。「息子は国の雨もりを修理している。国の普請の金だ」と語っていたとか。
名所を巡る

生家跡
杉田家は代々大庄屋をつとめた。所有する田畑や山林の広さは相当なもので、越前の豪農とも呼ばれていた。(福井市菖浦谷町)

鶉公民館
館内に杉田定一に関する資料を展示。前には銅像も建つ。(福井市砂子坂町)

瀧谷寺
定一が道雅上人に学んだ場所。上人が与えた「鶉山」の号は故郷・鶉村からとった。(坂井市三国町滝谷)

顕彰碑
通りに面した場所に建つ。杉田定一に関する史跡群のシンボル。(福井市菖浦谷町)

墓地
福井平野を見渡す小高い丘の上に眠る。寄進者に芦原温泉旅館の名が多く見える。(福井市菖浦谷町)