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短く儚く散った歌人登美子の面影を求めて。
山川 登美子(1879〜1909)
   
山川登美子写真(小浜市立図書館蔵)

自らの悲運な生涯を31文字の歌に託した女性。


  明治時代に浪漫主義文学の詩歌雑誌として一世を風靡した『明星』。その女流歌人として与謝野晶子と並び有名なのが山川登美子だ。晶子が奔放華麗な歌であるのに比べ、登美子は激情を底に秘めた清楚哀婉なのが特徴。晶子とは歌と同様に与謝野鉄幹をめぐって恋のライバルでもあった。だが、身を引いて親の選んだ相手と結婚した登美子は歌の世界を一時離れる。その後、結核に倒れた夫との死別 を契機に『明星』に返り咲き、晶子らと共に合著歌集『恋衣』も出版した。しかし、この時彼女は既に結核に感染。郷里・小浜に帰った登美子は、やがて床に伏し、孤独と絶望の中で1200首余りの歌を残して、29歳の若さで他界した。


こぼれ話
 「それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ」というこの歌は、晶子に恋を譲ったときの登美子の苦しい心情を詠んだ歌。
名所を巡る


発心寺にある登美子の墓。登美子は桜の花の散る頃に亡くなった。母親と弟にみとられながら、薄幸の最後を迎えたという。(小浜市伏原)

生家
登美子は厳格な家庭の8人兄弟の四女として育った。(小浜市千種)

小浜公園の歌碑
小浜公園にある登美子の歌碑。(小浜市青井)