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故郷・若狭町三方に今なお残る軍人・佐久間勉の面影を探して。
佐久間 勉(1879〜1910)
   
佐久間勉写真(福井市立郷土歴史博物館蔵)

死を目前にして冷静沈着で真摯な行動貫いた英雄。


 第6号潜水艇長・佐久間勉は北前川村(現若狭町三方)にある前川神社の神官の次男に生まれた。海軍兵学校を卒業した勉は海軍大尉に昇進し、特に運転技術を要した最初の日本製の潜水艇・第6号潜水艇長に任命される。ところが、明治43年(1910)4月15日の演習中、艇は海水が浸入し沈没。為しうる全ての手を尽くしても浮上の見込みのないことを悟った勉は、最後の任務として沈没の原因を詳しく書き始める。13名の部下の家族への思いも書かれた人間愛溢れる遺書と極限状態における責任感ある沈着な態度は、当時日本だけでなく世界中から賞賛された。その霊は前川神社境内に「六号神社」として今も祀られている。


こぼれ話
 虫の知らせだったのであろう。死の2週間前に勉は突然、亡き妻が生み残して敦賀に養子に出した娘・輝子に会いに敦賀へ行っている。
名所を巡る

佐久間記念館
彼の殉職を今に伝える佐久間記念館。当時、勉の遺書を読んだ夏目漱石は「文芸とヒロイック」という一文を記し、歌人・与謝野晶子は追悼の歌を詠んだ。
お問い合せ:佐久間記念館 0770・45・2222(若狭町三方南前川)

石碑
記念館の近くにある。彼の殉職を称えて建てられた碑。(若狭町三方南前川)

銅像
小浜公園にある銅像。彼の死は「沈勇」という題で、死後わずか数年で修身の教科書で紹介されるほどであった。(小浜市青井)