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中野重治が愛して止まなかった故郷・丸岡町を歩く。
中野 重治(1902〜1979)
   
中野重治写真(中野重治研究資料室蔵)

政治と文学を結びつけた「抵抗の文学」の人。


 明治35年(1902)、坂井郡高椋村一本田(現坂井市丸岡町)に作家・中野重治は生まれた。妹は“一田アキ”の筆名でプロレタリア詩人として活躍した中野鈴子。東京帝国大学(現東京大学)ドイツ文学科に入学した重治は社会主義運動に加わり、同人誌『驢馬』などで詩や評論を発表。やがてプロレタリア文学運動の中心的存在となり、昭和5年(1930)に治安維持法違反の容疑で逮捕された。このことは中野文学に深刻な影をおとしたようで、重治は苦しい心の内面 を『小説を書けぬ小説家』等の作品に赤裸々にさらけ出していった。転向者という傷をさらしながらもなお、革命運動の道を進もうとする重治自身の決意が窺える小説『村の家』は転向文学の傑作とされている。

失われゆく美しい農村の風景を、現代に伝えた重治。


 戦後の重治は、プロレタリア文学の流れを汲んだ“新日本文学会”や再入党した共産党で活躍する。『村の家』、『むらぎも』、『五勺の酒』などの作品にも精力的に取り組み、自伝的小説『梨の花』を書き上げた。重治の少年時代を書いたこの小説は、北陸の無骨だが美しい自然に暮らす農村の人々の生活が昔の丸岡弁を使って活き活きと描かれている。彼はもはや永遠に失われるであろうこの農村の風景や方言を書き留めておきたかったのだ。この作品で受賞した読売文学賞を始め数々の受賞が、いずれも民間の賞であることは彼の文学の気質を物語っているといえる。


こぼれ話
 重治は多くの書簡を獄中から出した。検閲をかいくぐって不自由な言葉で綴られた書簡だが、彼の、妻や両親への想いを垣間みることができる。
名所を巡る

中野重治記念文庫
丸岡町民図書館と共に昭和58年(1983)に開館した中野重治記念文庫。図書館内にあり、蔵書13452冊をほこる。中庭にある樹木は世田谷の自宅から移植されたもの。
中野重治記念文庫 0776・67・1500(坂井市丸岡町霞町)

生家跡
生家跡。中野家で用いられていた石に「中野重治ここに生まれ、ここにそだつ」と刻まれた重治碑がたつ。妹で詩人の中野鈴子の石碑もここに。(坂井市丸岡町一本田)

興宗寺
県立福井中学校に入学した重治が下宿していた興宗寺。柔剣道や体操は苦手で文化系を得意としていた重治であったが、特に文学書を読むといったこともないままに卒業した。(福井市松本)

虫歯地蔵
神明神社境内にある「虫歯地蔵」。『梨の花』で「虫歯の地蔵様は……首をかたげて、片っ方の頬に片手をあてている。虫歯が痛むので、手でその方を抑えているのだ」と描かれている。(坂井市丸岡町一本田)


中野累代之墓。先祖が豊臣秀吉から拝領した土地にある。(坂井市丸岡町一本田中)