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『死の淵より』に代表される高見文学の原点を生誕の地・三国に見る。
高見 順(1907〜1965)
   
高見順写真(みくに龍翔館蔵)

昭和10年代の文壇に新風を送り込む。


 高見順は母・高間古代と第9代福井県知事・坂本 之助の間に私生児として生まれた。この出生の事情は生涯にわたって順の人生に暗い影を落とし続けることになる。小説家になることを決意した順は東京帝国大学(現東京大学)英文科に入学し『大学左派』などの同人誌に参加、卒業後も活動を続け、昭和8年(1933)には治安維持法違反の容疑で検挙された。彼の代表作で芥川賞の候補作『故旧忘れ得べき』はこの直後に書かれたものであり、共産主義思想の転向を強いられ敗北感にさいなまされた順が、自己の苦悩と退廃を吐き出すように書き綴った転向小説であった。東京浅草を舞台にした小説『如何なる星の下に』でも順はその名をはせ、その後も『描写 のうしろに寝てゐられない』等で文壇に新風を吹き込んでいく。

癌に犯された死の床にて故郷三国を想う。


 戦後は自己の根源に遡り、その存在を確認する為の自伝的長編小説『わが胸の底のここには』を執筆する一方で、『仮面 』などの前衛小説や『今ひとたびの』などのロマンスも執筆し、様々な芸術上の試みに成功をおさめる中、順は癌に冒されていた。
 『死の淵より』は、そんな闘病さなかの極限状態にある魂の叫びが刻まれた詩集で、初めて生まれ故郷・三国と自分の関係を書き綴っている。かつては出生の事情から三国に背を向けていた順が、癌との壮絶な戦いのなかで最後に想ったのは故郷・三国であったのだ。
 主な著作としては前記の他『昭和文学盛衰史』などの優れた評論や、各8巻17冊から成る膨大な『高見順日記』と『続高見順日記』などがあげられる。晩年は、日本近代文学館創設にも力を注いでいる。


こぼれ話
 作家・永井荷風は順の従兄であり、詩人・坂本越郎も腹違いの兄にあたる。順にも又、彼らと同じ文才の血が流れていたのだ。
名所を巡る

文学碑
詩集『死の淵より』の「荒磯」が刻まれた荒磯遊歩道にある文学碑。癌との壮絶な闘病の末に順が想ったのは故郷・三国だっだ。(坂井市三国町米ヶ脇)

生家
三国町にある順の生家。順がここにいたのはわずか数え年2歳までであった。県知事との間の私生児である順を出産したことで高間一家は狭い港町の噂の種とされたため、夜逃げ同然で東京へと越していったのだった。(坂井市三国町北本)

みくに龍翔館
みくに龍翔館にある高見順のコーナー。復元した書斎など、順ゆかりのものが陳列されている。三国町郷土資料館みくに龍翔館 0776・82・5666(坂井市三国町緑ヶ丘)


高間家の菩提寺である円蔵寺にある高見順の墓。1年10カ月にも及ぶ癌との闘病生活の果 てに、58歳の早すぎる生涯を閉じた。(坂井市三国町宿)