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| 道元禅師図像(宝慶寺蔵) |
幼くして仏門へ。仏道の追求は海をも越えて。
人里離れた深山幽谷の地に、曹洞宗の大本山永平寺はある。この修行の場を開いた高僧・道元は正治2年(1200)京都に生まれた。父は内大臣久我通
親、母は太政大臣藤原基房の娘と伝えられている。良い家柄ながら幼くして両親を亡くし、13歳で比叡山に上った。仏道修行に励むが比叡山の思想に疑問を持ち、宋で禅を学んで帰国した栄西の門を叩く。栄西の弟子明全から教えを受け24歳で自身も入宋、天童山の如浄の下で悟りをひらいた。
その悟りとは”身心脱落“、身も心も忘れる高次な悟りの境地。ただひたすらに坐禅を組み、その境地を目指す、すなわち”只管打坐“。道元の思想はここから始まった。
修行の場は、今も連綿と受け継がれる。
帰国後は禅の普及に努めたが、比叡山を中心とする仏教界では異端とされ、京を追われてしまう。寛元元年(1243)には志比庄の地頭・波多野義重らに招かれ、越前へ。当初は志比庄の吉峰寺(旧上志比村)に入り、翌年吉峰寺裏手の大仏寺山の中腹に大仏寺を建立。2年後、永平寺と改称した。
越前での道元はさらに修行を重ねる。公家や武家などの権威を嫌い、ひたすら後進の指導に努めた。仏教哲学の最高峰『正法眼蔵』の内の数巻が記されたのもこの頃である。
建長4年(1252)に健康を害し、弟子に永平寺をまかせ京へ療養に行くが、翌年生涯を閉じた。後年永平寺は麓の現在地に移るが”只管打坐“
の修行の場は、今も連綿と受け継がれている。
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今なお多くの雲水を抱える永平寺。日常生活のすべてが修行と説く道元は、炊事もしかり。素材を生かした精進料理の技法が受け継がれている。 |
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永平寺伽藍
室町時代初期、天皇から「日本曹洞第一道場」の勅額が贈られた永平寺。日本の禅修行の最高峰として現在もその歴史を刻み続けている。(永平寺町志比) |

永平寺参道
杉の大木に覆われた参道。歩みを進めるたびに、歴史の重みが伝わってくる。 |

吉峰寺
上志比村(現永平寺町)にあり、永平寺が開山するまでの2年間、道元が拠点としていた寺と伝わる。新緑や紅葉の美しさでも名高い。(永平寺町吉峰) |

坐禅石
吉峰寺境内、本堂近くに残る。寺には道元禅師像や、道元筆と伝えられる守り札などが残る。(永平寺町吉峰) |

木ノ芽峠
病気療養のため京へ向かう道元はここで歌を詠んで弟子と別
れた。峠には「草の葉に道途(かどで)せる身の木ノ芽山 雲に路ある心地こそすれ」という歌碑が立つ。(南越前町) |
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