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| 重要文化財 朝倉敏景画像(心月寺蔵) |
西国一の暴れん坊、反旗を掲げ越前・一乗谷の主に。
福井市街の東南、山裾に広がる一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代の城下町を知る上で全国的にも貴重な史跡として名高い。朝倉氏は5代100年あまりこの地に住み、越前国を治めた。その初代一乗谷城主が、朝倉孝景(敏景)である。
朝倉氏はもともと但馬の豪族で、南北朝期に朝倉広景が越前にやって来た。孝景は広景から7代目にあたる。応仁の乱(1467〜)で孝景は越前の守護大名の斯波氏に従い、西軍の将として活躍。だが、東軍の細川勝元は”西国一の暴れん坊“と称された孝景を、越前守護職と引き代えに寝返らせる。大義名分を得た孝景は当時勢力を広げていた守護代の甲斐氏を圧倒、朝倉氏の越前支配が確立した。
多くの文化人が足を運んだ”北陸の小京都“。
孝景は幼少から利発で、勉学や武芸に秀でていたという。家と治世の安泰を願い、さまざまな掟(朝倉孝景十七箇条)も定めた。要職の世襲を認めず個人の能力で登用する、質素倹約に努めるなど、理にかなった内容は孝景の非凡さを証明している。
また孝景は文化振興にも尽力。文化人達は戦乱で荒れ果
てた京を離れ、一乗谷に身を
寄せた。朝倉氏の治世に連歌師・飯尾宗祇とその弟子宗長、儒学者・清原宣賢らそうそうたる顔ぶれが訪ねている。
天正元年(1573)織田信長軍が引き込んだ平泉寺衆徒の放火によって灰燼に帰すまでの約百年間、”北陸の小京都“と呼ばれる華やかな一乗谷文化が花開くのだった。
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孝景の末子・教景(宗滴)は3代にわたって朝倉氏を支えた文武両道の名将。『宗滴話記』は武将の心得を記した教訓書として有名だ。 |
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一乗谷朝倉氏遺跡
信長の手によって焦土と化した一乗谷は、昭和42年から発掘調査が始まった。400年の時を超え蘇った遺構は、戦国期に生きた人々の暮らしを静かに物語ってくれる。昭和46年に国の特別
史跡に指定。(福井市城戸ノ内町) |

一乗城山
一乗谷川沿いの遺跡群の背後にそびえる。山城が築かれ軍備の拠点だった。(福井市城戸ノ内町)
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心月寺
福井市街、足羽山の麓にある朝倉氏の菩提寺。創建は一乗谷だが後年当地に移った。 |

一乗谷朝倉氏遺跡資料館
発掘調査で出土した遺物を中心に、戦国時代の暮らしを紹介する施設。一乗谷朝倉氏遺跡資料館 0776・41・0913(福井市安波賀町) |

英林塚
一乗谷の山腹にある。孝景が英林と呼ばれたことから、その名をとって英林塚といわれている。(福井市城戸ノ内町)
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西山光照寺石仏
光照寺は一乗谷繁栄当時、40以上ある寺院の中で最大と伝わる。多くの石仏や石塔が発掘された。(福井市安波賀中島町)
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