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藩の基礎を築いた名君。その偉業は今も小浜のまちに息づく。
酒井 忠勝(1587〜1662)
   
酒井忠勝画像(小浜市立図書館蔵)

徳川家の信頼厚く、幕府の要職に。


 初代の小浜藩主である酒井忠勝は酒井忠利の長男として三河国西尾(現愛知県西尾市)に生まれている。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに先立ち徳川秀忠が信濃の真田昌幸・幸村父子を攻めた戦が、忠勝の初陣となった。
 元和6年(1620)2代将軍秀忠は、世継ぎとなる子・家光に忠勝を近待させ、2年後には1万石を加増して大名にした。3代将軍家光の代には老中となり、家光没後も4代家綱をよく補佐するなど幕府の重鎮として活躍する。
 忠勝が初めて小浜に入ったのは、寛永11年(1634)のこと。家光が忠勝に若狭一円と越前国敦賀郡、近江国高島郡11万3500石を与えたことによる。忠勝が完成させた小浜城は、明治まで酒井家の居城となっている。

小浜滞在は短いながら、”名君“の働きぶり。


 初代藩主の座に就いていた23年の間、忠勝の小浜在国はわずか4回、滞在期間もそれぞれ数ヶ月から10日と極めて短い。寛永15年(1638)に大老に就き、幕府の要職にあった忠勝は、他の大名とは事情が違っていたからだ。
 とはいえ、領国の行政を疎かにするような忠勝ではない。家臣団を組織し、農村には郡奉行や代官を配置。年貢収入安定のため耕地や用水の管理を徹底させるなど、藩政の基礎を固めていった。
 帰国がままならない忠勝は、書状で細かな指示を国許の家老らに伝えた。今も残る多くの書状が名君ぶりを伝えている。


こぼれ話
 江戸の忠勝と小浜の連絡役を、八助という家来が買って出た。飛脚の倍の速さで往復した八助の正体は、白狐。彼をまつる八助稲荷が小浜城跡に残る。
名所を巡る

小浜城跡
京極高次が着工し、酒井忠勝が完成させた小浜城。若狭湾の名勝・蘇洞門(そとも)の石が石垣に使われている。(小浜市城内)

空印寺
藩主酒井家の菩提寺。2代藩主・忠直が仏殿を改修し、忠勝の号「空印」に改名した。(小浜市小浜男山)

萬徳寺
歴代小浜藩主の信仰が厚く、とくに忠勝は国家安全の祈願寺とした。庭園の美しさも有名。(小浜市金屋)

小浜神社
藩祖・酒井忠勝を祀る。社殿東側に天然記念物「9本ダモ」がある。(小浜市城内)

雲浜獅子
毎年5月2、3日に小浜神社で行われる例祭で披露される獅子舞。国替の時に忠勝が前任地の川越(現埼玉 県川越市)から連れてきた。県の無形民俗文化財指定。