戦国武将の子に生まれ、波乱の幼少期。
江戸初期の異色の絵師・岩佐又兵衛。劇的なタッチに人間臭さが同居する独自の画風は、浮世絵の祖との声も高い。
又兵衛の父、伊丹城主・荒木村重は主君・織田信長に背いたため、一家は斬殺。当時2歳の又兵衛は落城間際に救出された。後に母方の姓岩佐を名乗り、絵画の素養で生計を立ててゆく。40歳の頃には興宗寺住職心願との交流から北庄に移住。20余年の福井時代に『旧金谷屏風』などを制作、独自の作風を生み出した。
寛永14年(1637)、将軍家の調度品制作に指名され江戸へ。福井に戻ることなく没した。子の勝重も福井藩の御用絵師として活躍している。ちなみに興宗寺境内に彼の墓がある。
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又兵衛と同様に福井藩と将軍家に才を認められた人物といえば刀工・下坂康継。江戸新刀の開祖と言われ、多くの弟子を育て家康にも認められた。 |
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興宗寺
又兵衛が福井時代に居住した寺。この寺の僧・心願とは幼少から親交があった。(福井市松本) |

福井県立美術館
『三十六歌仙図』など多くの又兵衛作品を収蔵。福井県立美術館 0776・25・0451(福井市文京) |

下坂康継の墓
福井市宝永の桂林寺に葬られたが、維新後廃寺に。跡地に残る。(福井市宝永
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