 | | グリフィス写真(福井市立郷土歴史博物館蔵) | 明新館の理科学教師として福井へ。 アメリカ合衆国のフィラデルフィアで生まれたグリフィスは、名門校であるラトガース大学に入学し、化学や物理などの自然科学を中心に幅広く学んだ。学生時代の彼は成績の素晴らしい学生だけがなれるファイ・ベータ・カッパ会員に選ばれるなど相当に優秀であったようだ。ところで、当時この大学には福井藩第1号の留学生である日下部太郎が入学していた。特に数学に秀で、常にクラスで首席を通 すほど優秀であったが、残念ながら卒業間近に結核で死亡した人物だ。グリフィスはラテン語を個人教授するなど日下部とは親しい仲であった。この交流を通 して福井に興味を抱いていたこともあり、グリフィスは福井藩の要請を受けて明新館理科学教師として福井に行くことを決意することになる。 明治4年(1871)に来福し、月給300ドルと洋館を与えられた彼は、子弟に化学、物理、ドイツ語、フランス語を教え、日本最初の米国式理科実験室を設置する。暇を見て散歩したり、川で泳いだり、時には白山に登ったりと福井での生活をそれなりに楽しんでいたようだ。だが、この福井滞在は廃藩置県によりわずか10カ月で終わり、惜しまれながら東京へと去ることになってしまった。 彼が福井にいた期間は短い。しかし、その貴重な時間は、日本の歴史や風俗、生活習慣を海外に紹介した名著『皇国』(東洋文庫内)の執筆に活かされている。外国人が日本を知る貴重な資料となるこの本は、彼の偉大な功績として今も高い評価を受け続けている。 |  | 日下部太郎は卒業を目前に病死したが、ラトガース大学はその優秀さを惜しみ、特例で首席卒業生に与える黄金の鍵を彼に送っている。 | |    異人館跡 (上)グリフィスが住んでいた建物の跡。ベランダがある明治初期のコロニアル・スタイル洋風住宅の典型的な家だった。(下)グリフィスが住んでいた当時の異人館の写 真(福井市立郷土歴史博物館蔵)。(福井市中央) |  福井市立図書館 グリフィスと日下部太郎の交流を記念したレリーフ。この二人の交わりをきっかけに昭和57年、ラトガース大学のあるニューブランズウィック市と福井市の姉妹都市提携が実現している。(福井市文京) |  明新館跡 福井藩の藩校である「明新館」(明治維新により明道館から改称)でグリフィスは生徒に理化学を教えていた。(福井市大手) |  日時計の台座 昭和2年に再来福した際、グリフィスは福井に日時計を送ることにしたがその実現を見ぬ まま死去。時計はその後未亡人によって届けられた。写 真はその台座(福井市立郷土歴史博物館蔵) | | |