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勝山市と大野市の市境付近を走る電車。昭和47年(1972)ごろ撮影。(京福電鉄
福井鉄道部所蔵)
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奥越を巡る鉄道の世代交代を廃線跡から探ってみる。
京福越前本線の歴史は大正2年(1913)にまでさかのぼる。京都電灯が北陸地方初の電気鉄道路線として、新福井―勝山―大野口を開業したのがその始まりである。当時は、中竜鉱山からの亜鉛鉱や奥越の材木・米の搬出など、県内の基幹産業を支える路線としての役割を果
たした。
その後、大正7年(1918)には大野口―大野三番(のちに越前大野に改称)が開通
。また昭和20年代後半からは、白山水系の電源開発に伴うコンクリートなどの建設資材搬送にも大きく貢献した。
しかし、30年代以降の自動車社会の発達に加え、35年(1960)の国鉄(現JR)越美北線福井―勝原の開業により、旅客・貨物ともに輸送量
が激減。49年(1974)8月13日、勝山―越前大野が廃線となった。
遺構の中では、六呂師下荒井トンネルがいちばん目立つ存在。これには、開通
当初に使われていた旧線のものもあるが、急斜面に位置することもあり、廃線跡めぐりとしてはおすすめできない。
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下荒井トンネル跡
下荒井トンネル跡の勝山駅側。入口上部に京福電鉄の社紋が残る。現在は、資材置場として転用されている。〔地図B〕(勝山市下荒井町)
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路線跡
道路として供用されている勝山駅東方の線路跡には、架線柱の一部が残っている。架線柱にくくりつけられたプレートには「京福」の文字が。〔地図A〕(勝山市遅羽町) |

立体交差跡
大野市中野にある、国鉄(現JR)越美北線との立体交差跡。勝山―越前大野間は昭和49年(1974)に廃止されているので、この箇所が立体交差として機能したのは15年足らずだ。〔地図C〕(大野市中野町) |
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