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京福丸岡線 一覧へ戻る戻る次へ

 
   
大桐駅(南越前町大桐)から山中トンネルに向かう勾配を、D51形が牽引する旅客列車が登っていく様子(昭和30年ごろ撮影)。この区間は緩やかなカーブを描いて線路が敷かれていたため、鉄道ファンにとっては恰好の撮影場所となっていた。(宮田憲誠氏所蔵)

改修された道路を走りながら、山越えの苦労を思う。

 北陸地方の主要都市を結ぶ国鉄(現JR)北陸本線の一部として敦賀―福井間が開通 したのは明治29年(1896)。山中峠を越え、山あいをぬ って走るこの区間は、車窓から日本海が一望できる風光明媚な箇所だった。と同時に、D51形蒸気機関車やDD50形・DF50形ディーゼル機関車など、国鉄の最新鋭機関車が多数投入される国鉄最大級の難所としても知られていた。
 しかし、高度経済成長期に入り、北陸本線の輸送力増強が要請されるようになった。その一環としてつくられたのが敦賀―今庄間を貫通 する北陸トンネル(13.87キロメートル)である。その開通は昭和37年(1962)6月10日、それに伴い山中峠越えのルートが廃線となった。
 現在、路線跡は敦賀と今庄を結ぶ県道となり、生活道路として利用されている。トンネルや駅ホーム、鉄橋跡もいたるところに現存。県内に残る廃線跡の中でも比較的訪れやすいものの一つである。

現存する遺構

葉原トンネル
区間中、信号機が唯一取り付けられている。廃線跡が道路として充分に機能していることを物語っている。[地図D](敦賀市葉原)

大桐駅跡
開業当時は旅客の乗降ができない「信号場」であったが、地元住民の強い要望で駅として昇格した。
[地図A](南越前町大桐)

山中信号場跡
落石よけが設けられていた山中信号場の跡。敦賀―今庄間には、急勾配を避けるため、スイッチバックの設備が点在していた。山中信号場もその一つ。
[地図B](南越前町山中)

鉄橋
今も残る鉄橋。線路が取り払われた跡は、自動車用道路に転用するために舗装されているが、石積みの橋台は当時のままだ。
[地図E](敦賀市獺河内町)

山中トンネル
敦賀―今庄間で最長のトンネル。単線だったトンネルがそのまま使われているため、自動車のすれ違いはもちろんできない。
[地図C](南越前町山中)