敦賀・若狭の
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- 常宮神社
- ご祭神は、氣比神宮の仲哀天皇の妻・神功皇后で、「お産の常宮さん」としてあがめられています。毎年7月22日には、仲哀天皇のご祭神が船で海を渡る「総参祭」という全国的にも珍しい神事があり、国宝「朝鮮鐘」が安置されています。
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- 若狭路
- 敦賀市
- 矢代観音堂 福寿寺
- 福寿寺本堂に安置の聖観音菩薩は、手杵祭の王女の姿を写したものと伝え、またこの観音菩薩は唐から伝来したものであるともいわれてきた。像高94.7㎝の坐像で、桧材をもちい頭、体部を一材から木取りし、三道部を割り放して首枘を設け、内刳りののち矧ぎよせた構造で、…
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- 若狭路
- 小浜市
- 永覚寺
- 浄土真宗の寺院。元治2年(1865)1月29日、幕府は水戸天狗党を荷蔵16棟に収容した後、2月1日に永覚寺に仮白州が設け、簡単な取り調べを行いました。この取り調べの後、元治2年(1865)2月に水戸天狗党の353名が斬罪に処せられたほか、残る約470名も遠島・追放・水戸渡し・…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 永厳寺
- 曹洞宗。若狭三十三観音霊場の第1番札所。応永20年(1413)、今の栄新町に創建されます。慶長12年(1607)、打它宗貞により現在地に移転。 水戸天狗党には少年11人が含まれており、これを不憫に思った永厳寺住職龍道が奉行所に申し入れ、11人を仏弟子として引き取ったと…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 羽賀寺
- 数多い諸仏のなかでもひときわ美しいのが、小浜・羽賀寺の木造十一面観音菩薩立像(像高146.4cm、平安時代初期の作、重要文化財)です。女帝元正天皇をモデルにしたといわれています。羽賀寺は、霊亀2年(716)に行基が勅命により創建したと伝えられています。かわいい御…
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- 若狭路
- 小浜市
- 新宮神社
- イチョウの巨木が目を引く由緒ある神社です。敷地内にある長い階段を登ると、景色も楽しめる愛宕神社があります。毎年10月に催される例祭では、和田のまちなかで神輿や山車が巡行し、境内もにぎわいます。
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- 若狭路
- 高浜町
- 瑞林寺の一本桜
- 瑞林寺にある一本桜の丘からは、日本海、久々子湖(三方五湖の一つ)、漁村風景が一望できます。映画「サクラサク」の舞台にもなった場所です。さだまさしさんの実父が幼少のころ住んでいた思い出の場所であり、家族がひとつになれるクライマックスシーンのロケ地になり…
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- 若狭路
- 美浜町
- 妙楽寺
- 霊峰・多田ヶ岳の麓、桜並木の参道より山門をくぐり、境内の静寂はしばし世俗を離れさせてくれます。若狭における最古の建造物である本堂は、寄棟造り檜皮葺で、安置されている木造千手観音菩薩立像(重文)の表情には安らぎを覚えます。
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- 若狭路
- 小浜市
- 恵比須神社(須部神社)
- 奈良時代に建てられ、「若狭ゑびす」として知られている神社。商売繁盛、漁業の神と子供の守り神として県内外から多くの参拝者が訪れています。また朱塗の鳥居は町の指定文化財になっています。
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- 若狭路
- 若狭町
- 長遠寺
- 単立の寺院。本寺は、水戸天狗党が降伏直後に収容された3ヶ寺のうちの1ヶ寺で、水戸天狗党90人が収容されていました。寺院での彼らの待遇は手厚いものでしたが、幕府に身柄が引き渡された後は、敦賀の舟町(現敦賀市蓬莱町)に並んでいた肥料用の鰊粕などを保管していた…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 本妙寺
- 永和2年(1376)創立、開山は日敬。元亀年間の兵火にあい、天正18年(1590)に敦賀城主大谷氏より寺地を拝領し、宝泉町から上島寺町に移転しました。 本寺は、水戸天狗党が降伏直後に収容された3ヶ寺のうちの1ヶ寺で、武田耕雲斎の次男である武田魁介ら346名が収容されて…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 潮音院
- 若狭観音霊場は33ヶ所あります。ここ潮音院は巡礼第28番目の古寺で、臨済宗の聖観音像があります。堂宇の33体観音像は、江戸末期に安置されたものです。尚、本堂には大楠公の霊位を安置しています。
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- 若狭路
- おおい町







