- 武生商工会館
-
- 貸会議室あり。
- Loading...
- more
- 憶念寺
-
- 楠正成の弟の弟子の1人である秀見が住居としていた寺を、真宗に転帰したもので、正しくは金剛山憶念寺と呼びます。天保年間から昭和初期にかけて、浄土真宗の大家を輩出しています。
- Loading...
- more
- 鵜甘神社(南越前町)
-
- 山王山の西麓にあり、延喜式神名帳にも名を残す神社で、鎌倉時代末期には、杣山城の城主・瓜生氏の手厚い保護を受け、そのもとで、社運は大きく隆盛しました。社宝の王の面は、県内でも最古の正安4年(1302)の貴重な作品です。
- Loading...
- more
- 越前町営球技場横の桜並木
-
- 越前町朝日の町営球技場の横にある桜並木。廃線となった鉄道の跡地に植えられており、600メートルの桜並木が続きます。
- Loading...
- more
- 妙高寺
-
- 日蓮宗の記録によれば、創建は寛正5年(1464)。開祖は「立正治国論」を著した日蓮宗の日親。しかし、実は桑野屋彦三衛門が日親に深く帰依して、妙高寺を建立。日親の次男・日栄が住職となりました。桑野屋は、江戸時代には福井藩の両替業務に携わり、町の総代も務めた…
- Loading...
- more
- 尾花キャンプ場
-
- 尾花キャンプ場は河和田町の市街地から7km程はなれた殿上山(でんじょうざん)にいたる標高500Mの高台にある。展望広場より河和田町の市街地が一望でき、キャンプ場は見事な杉の植林と山水が沸き、夏でも冷風吹き渡る絶好の佳境である。
- Loading...
- more
- 山中峠
-
- 奈良時代、都から越の国(北陸)に入る旅人は敦賀から山中峠(標高389m)を越えてきました。越前の国を通った最古の北陸官道です。万葉集にも歌われ「万葉の道」とも呼ばれています。
- Loading...
- more
- ホノケ山
-
- 山頂からは丹南の平野や敦賀湾・日本海が見え、自然が多く残る山として親しまれています。ホノケ山には昔、都や府中(越前市)へ異変を知らせるのろし台があったことから、常に火の気に気をつけたことが「火」が「ホ」に転化してホノケ山になったと言われています。塩…
- Loading...
- more
- 桝谷ダム
-
- 桝谷川の上流に高さ約100mの石などを積み上げたロックフィル式のダムを築造し、有効貯水量2,310万㎡(近隣の広野ダムの約2倍)を貯水します。このダムは県下第4位の貯水量をもち、日野川水系では最大のダムとなります。
- Loading...
- more
- 慈眼寺
-
- 嘉慶元年天真自性禅師が開創、本尊は十一面観世音菩薩。往時は末寺が千二百余寺を数えるほどの隆盛を誇りました。一粒の豆の木が、一夜にして驚くほどの大木に成長し、その木の幹で作ったという伝説の「豆の木の臼」が展示されています。
- Loading...
- more
- 幸若音曲発祥の地記念碑
-
- 幸若音曲(幸若舞)発祥の地の記念碑は、越前町社会福祉センター朝寿殿(越前町西田中)の正面玄関横にあります。幸若舞は、越前町西田中が発祥の地で、申楽(さるがく)などと同様に中世芸能として発達し、約600年の伝統を誇る芸能でした。室町時代に、桃井直詮(幼…
- Loading...
- more
- 三場坂清水
-
- 三場坂清水は、継体大王がお手植えされたと伝えられている薄墨桜(エドヒガン桜)の所へ行くための登り口にあります。冷たく水質も良好で、水量も多く飲用にも適しています。平成21年には、地元の人たちの手により、清水へ向かう山道沿いに、古くからアワや稗を挽くのに…
- Loading...
- more
- 越前かたりべの会
-
- 越前町の観光ボランティアガイドグループ「越前かたりべの会」は、越前町を訪れる観光客に、ふるさとの自然風土や歴史文化等を広く伝えていくために活動しているグループです。郷土愛と、おもてなしの心をもって分かりやすくご案内いたします。語り部と一緒に、海あり…
- Loading...
- more