- 岩佐又兵衛の墓
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- 岩佐又兵衛は江戸初期に活躍し、浮世絵の元祖とも言われる絵師です。江戸幕府三代将軍 徳川家光にも重用され、また浮世絵の元祖とも言える作品を残しています。又兵衛の父は織田信長に謀反を起こした荒木村重であり、荒木一族の多くは斬殺されましたが、数え年2歳の又…
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- 天満神社
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- 平清盛の孫・平維盛は平家方の大将として戦い、今庄の燧ヶ城を舞台とした火打合戦で大勝しますが、倶利伽羅峠の戦いにて木曾義仲に敗れます。平家物語では入水し命を絶つ姿が描かれていますが、生き延びたという伝説も各地に残ります。福井市の美山地区である赤谷町に…
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- 白川静 生誕之地記念碑
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- 中国文学者で漢字研究の第一人者、白川先生の功績を顕彰し、中国古代人の生活と意識にまで踏み込んだ文学学体系「白川文学学」を次代につなぐことを目的に、先生の生誕地跡に記念碑が建立されています。
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- 越前 浜茄子
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- 季節の移り変わりと共に美しい表情を見せる越前海岸は、日本海の新鮮な幸をはじめとする旬の味覚の宝庫。そして、四季折々の楽しさにみちたアメニティゾーン。目の前の日本海で獲れる魚貝類を食卓に、部屋からの日本海の眺望と心からのおもてなし。磯釣り。当館前は、…
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- 下馬中央公園
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- フェニックス型の大型アスレチック遊具が人気です。福井鉄道の「モハ161-2」の車両も展示されています。
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- 福井市木ごころ文化ホール
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- 稲荷神社(福井市西中野町)
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- 明治32年に旧福井県鶉村出身の山内甚之助氏他8名により開拓されたことが北海道上砂川町の発祥となっています。かつてこの稲荷神社にあった御神体は、現在は上砂川町鶉本町にある鶉神社に移されたため、稲荷神社には御神体が入っていた石逗子のみが残っています。(上砂…
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- 橋本左内宅跡
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- 福井藩の幕末の志士 橋本左内は、1834年(天保5年)にこの地に生まれました。跡地には産湯を汲んだ井戸、大正13年に皇太子殿下(昭和天皇)行啓を記念して建てられた「常盤の井」の標石が保存されています。「稚心を去る」「気を振う」「志を立つ」「学を勉む」「交友を択…
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- 横井小楠寄留地跡
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- 松平春嶽が熊本藩から招聘し福井藩政治顧問となった横井小楠が、福井に訪れた際の寄留宅跡地。坂本龍馬が勝海舟の命で来福した際にこの居宅を訪れています。弟子にあたる由利公正宅とは足羽川を挟んで向かい合っています。
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- 康継顕彰碑
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- 福井市宝永の住宅街にある、越前康継の顕彰碑です。江戸時代、越前は全国有数の刀剣の産地として知られていました。その中でも最大の刀工集団が戦国時代末期に近江国から越前に移住したとされる「下坂派」であり、その代表的存在が初代康継です。初代康継は「下坂市左…
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- 日下部太郎、グリフィス像
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- 日下部太郎は福井藩からのアメリカ留学第一号の生徒でした。横井小楠寄留宅跡の目の前にある堤防に建つその銅像の隣には、留学先の大学の先輩で指導・親交があったグリフィス像が共に建っています。
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- 由利公正宅跡
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- 福井藩財政を再建し、新政府では「五箇条の御誓文」の原案「議事之体大意」を作成した由利公正(三岡八郎)が住んでいた地。ここで横井小楠に連れられた坂本龍馬と三人で会談したとされ、その際に龍馬が詠んだとされる「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く…
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