日本のポンペイ!一乗谷朝倉氏遺跡で戦国時代へタイムスリップ!

日本のポンペイ!一乗谷朝倉氏遺跡で戦国時代へタイムスリップ!

一乗谷朝倉氏遺跡は戦国時代、朝倉氏が五代103年にわたって越前の国を支配した城下町跡です。遺跡内には当時の町並みがほぼ完全な姿で発掘・復原された「復原町並み」や、かつての栄華をしのばせる庭園跡など歴史好きの心をくすぐるポイントが数多く存在します。そんな遺跡内は事前予約でボランティアガイドの方にアテンドしてもらうことも可能です。今回は長年遺跡を守り続けてきた一乗谷朝倉氏遺跡保存協会の会長、岸田清さんに案内をしていただきながら、一乗谷朝倉氏遺跡の見どころをたっぷりとご紹介します!


全国に6例のみ!国の三重指定を受けた一乗谷朝倉氏遺跡

戦乱の世で華やかな文化が発展した戦国大名朝倉氏の城下町。その様子を現代へと伝える一乗谷朝倉氏遺跡は、国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けています。実は三重指定を受けているのは京都の金閣寺や、奈良の平城京跡、広島の厳島神社など全国でわずか6例のみ!戦国大名朝倉氏が五代103年に渡り越前の国を治め、華やかな文化が生まれた城下町は、柴田勝家率いる織田信長勢が攻め入り、三日三晩で燃え尽くされたと言われ、2023年には450年の節目の年を迎えます。ています。廃墟と化した城下町は長い間土の中で眠り続け、灰で埋まったポンペイ遺跡のように当時の様子が現代へ遺されました。

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岸田会長のここがおすすめ!「朝倉氏遺跡は福井の宝」

昭和42(1967)年に本格的な遺跡の発掘が始まり、その後地域の人たちの尽力もあり保全されているのが朝倉氏遺跡です。長い年月土の中に眠っていたため、まるでタイムカプセルのように当時の様子を現代に伝えてくれます。これだけの遺構が残っている中世唯一最大の遺跡は他にはない!この場所で戦国時代の風を感じてみてほしいですね!

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歩いてみよう!復原町並

「復原町並」は当時城下町で暮らしていた人たちの暮らしぶりを体感できる場所です。かつての姿通りに新たにつくる(復元)ではなく、発掘された塀の石垣や建物の基礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども、出土した遺物に基づいて当時の姿を忠実に再現(復原)しているのが特徴です。城下町には重臣達の大規模な屋敷跡が立ち並び、中央を通る一本道を挟んで中級武家屋敷や町人の町屋が建てられていました。道の真ん中に佇めば、戦国時代のにぎやかな城下町の様子が浮かびます。ドラマやCMのロケ地としても有名な場所なので、ドラマの登場人物や城下町の住民気分を味わってみては。

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岸田会長のここがおすすめ!「遠見遮断方式を実際に体験しよう」

当時の城下町では「遠見遮断方式」という防護策が採用されていました。道を湾曲させることで侵入してきた敵は先が見えづらい一方、こちらからは敵の姿がよく見えるという仕組みです。百聞は一見に如かず!これは自分でやってみて「お~!」っと実感してください。

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唐門で歴史ロマンに浸ろう

朝倉氏遺跡のシンボル「唐門」!この場所は春夏秋冬、様々な美しい顔を見せるので写真の撮影スポットとして人気の場所です。唐門は豊臣秀吉が朝倉氏の菩提を弔う寺の山門として寄進したと伝えられています。門の両外側には朝倉氏の家紋「三ツ木瓜」、両内側には豊臣氏の家紋「五三の桐」が彫りこまれています。現在の唐門は江戸時代中期頃に建て替えられたものですが、歴史ロマンにあふれた逸話を今に伝えてくれます。また、唐門を少し入ったところには朝倉義景の墓所があります。従兄の裏切りにより大野で自害し、首は京の都に送られましたが、この墓所で義景の魂は静かに眠っています。

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岸田会長のここがおすすめ!「唐門から先は殿様のお屋敷」

唐門をくぐったこの先は朝倉氏の屋敷跡です。庶民が住んでいた朝倉氏遺跡では厠跡、つまりトイレ跡も発見されていますが、屋敷跡には跡がないんですね。当時、格式の高い人たちは体調管理も兼ね木の箱に用を足していたと言われています。

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あなたはどの庭がお好き?特別史跡の4つの庭園を眺めよう

他の遺構と同様に、昭和40年代に発掘されるまで、庭園も400年以上の間土の中に埋まっていました。そのため石組などが当時のように良好な状態で残っており、「朝倉館跡庭園」「湯殿跡庭園」「南陽寺跡庭園」「諏訪館跡庭園」の4つの庭園が特別名勝に指定されました。朝倉氏の元には応仁の乱以降、京の文化人たちが集まったと言われています。日本一古い花壇や岡本太郎も喜んだといわれる庭など見どころは沢山ありますが、ぜひ自分の心の赴くままに庭園の趣を味わいましょう。

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岸田会長のここがおすすめ!「朝倉氏の財力と文化」

当時、朝倉氏は京都の清水寺にも寄進するほどの財力があったといわれており、これらの庭園もお金をかけて造られたことがわかります。その財力と、文化への感性があったからこそ朝倉氏独自の文化が発展したと思いますね。

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朝倉氏には独自の文化が華開いていた!

万人が暮らしていたと言われる城下町で、朝倉氏は独自の文化をつくりだしていました。例えば日本で最初の制服の導入。毎年行われる連歌会で町から離れた山辺の人も服装で恥ずかしい思いをしないようにと皆に同じ服を与えたことで、会の出席率をあげたことがきっかけとなっています。また「朝倉象棋」と呼ばれる将棋は、現在の将棋と異なり「酔象(すいぞう)」という駒があるのが特徴です。この駒は敵陣に入ると「太子」となり、「王将」が取られても「太子」がいる限り将棋が続く“負けない将棋”としても知られています。これらの文化からも、家臣や民衆に対する朝倉氏の心配りや当時の風習が伺えます。

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岸田会長のここがおすすめ!「朝倉敏景十七箇条が文化の礎!」

初代朝倉敏景(としかげ)が制定したと言われる(諸説あり)家訓の「朝倉敏景十七箇条」が朝倉氏の文化をつくりだしたと思いますよ。人材の登用法や、家臣団を城下町に集める方針などが書かれている戦国時代の分国法ですが、朝倉氏一族の人柄が伺えますね。いや~、朝倉さんはえらかったね~!

岸田会長のここがおすすめ!「朝倉敏景十七箇条が文化の礎!」

周辺を巡ってもっともっと遺跡を深堀り!

 2022年10月、一乗谷朝倉氏遺跡博物館がオープン!映像を使ったガイダンスや、工夫された展示が織りなされており、見どころが盛りだくさんの誰もが楽しめる博物館です。
 2階の朝倉館の原寸は、福井県の本気度の感じられる再現!最古の庭園に再現された花は越前和紙で作りこまれ、畳には朝倉氏の家紋が。眼下に広がる朝倉氏遺跡のパノラマを借景に御屋形様気分が味わえるビューポイントとしても必見です。

 また城下町の巨大ジオラマも見どころのひとつ。店先の暖簾や町に暮らす人たちの姿が(町人や、武士、お坊さんも!)細部までつくりこまれています。

 子どもたちが興味を持てるような触れて学べる体験型の「やきものパズル」や「考古学の道具をつかってみよう」なども。ここから未来の考古学者が誕生するかも!?


 一乗谷朝倉氏遺跡はいまだ未発掘の場所を持つ広大な広さの遺跡です。新博物館の他にも一乗谷城登山ルートをトレッキングしたり、佐々木小次郎が「燕返し」を編み出した場所とのいわれがある高さ172mの滝「一乗滝」に足を伸ばすのもおすすめです。

一乗谷朝倉氏遺跡博物館についてはこちらから。

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岸田会長のここがおすすめ!「新博物館ではぜひ石敷遺構をご覧あれ」

新博物館を建てるにあたり、その場所を発掘調査したところ「川湊」と呼ばれる場所から戦国時代の船着き場とみられる貴重な石敷遺構が見つかりました。きっと朝倉さんのおぼしめしだったんでしょう。新博物館ではその遺構展示をぜひ見てほしいです!

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四季折々の一乗谷朝倉氏遺跡を楽しんで!

ここまで岸田会長にアテンドしてもらいましたが、みなさまいかがだったでしょうか。遺跡にまつわる話の数々に戦国時代が一気に近くなり、朝倉氏一族の姿が会長の後ろにみえるような錯覚を覚えました。一乗谷朝倉氏遺跡では1年を通して「曲水の宴」や「戦国まつり」、「万灯夜」などさまざまなイベントも開催しています。どのタイミングで訪れてもきっと楽しい体験があなたを待っています。現地で歴史ロマンを感じたら、きっとあなたも朝倉氏のファンになること間違いなしです!