敦賀・若狭の
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- 矢代観音堂 福寿寺
- 福寿寺本堂に安置の聖観音菩薩は、手杵祭の王女の姿を写したものと伝え、またこの観音菩薩は唐から伝来したものであるともいわれてきた。像高94.7㎝の坐像で、桧材をもちい頭、体部を一材から木取りし、三道部を割り放して首枘を設け、内刳りののち矧ぎよせた構造で、…
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- 若狭路
- 小浜市
- 長遠寺
- 単立の寺院。本寺は、水戸天狗党が降伏直後に収容された3ヶ寺のうちの1ヶ寺で、水戸天狗党90人が収容されていました。寺院での彼らの待遇は手厚いものでしたが、幕府に身柄が引き渡された後は、敦賀の舟町(現敦賀市蓬莱町)に並んでいた肥料用の鰊粕などを保管していた…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 准藩士屋敷跡
- 小浜藩預りとなった水戸天狗党の残党を収容するため、慶応2(1866)年に建てられました。現在は、周囲の石垣が残ります。 元治元(1864)年11月1日、尊王攘夷実現のため、常陸国筑波山で挙兵した水戸天狗党は京都を目指しますが、幕府軍の追撃を受けて越前国敦賀で降伏。…
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- 若狭路
- 美浜町
- 小浜町並み保存資料館
- 平成20年6月に、伝統的な町並みが残る地域である小浜西組は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。この資料館は大正期に建てられた京都風の伝統的な町家で、昭和10年までは日用品などを販売する小間物屋が営まれていました。
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- 若狭路
- 小浜市
- みなとつるが山車会館
- 敦賀まつりで巡行する山車を展示しています。6基の山車のうち3基が展示されており、スクリーンシアターで迫力ある山車巡行の映像が見られるほか、山車に飾られる甲冑や能面を見ることができます。明治37年築の大和田銀行初代本店建物を活用した別館には、市内のまつり…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 苅田比売神社
- おおい町名田庄下の旧道をたどると苅田比売神社があり、本殿に向かって右側にムクノキ、スギ等が、左側にはスギ、サクラなどが見られ、ムクノキは県指定の天然記念物に指定されています。このムクノキは樹齢約300年で、幹周り7.5m、樹高約17mあります。木の高さ10mの…
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- 若狭路
- おおい町
- 恵比須神社(須部神社)
- 奈良時代に建てられ、「若狭ゑびす」として知られている神社。商売繁盛、漁業の神と子供の守り神として県内外から多くの参拝者が訪れています。また朱塗の鳥居は町の指定文化財になっています。
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- 若狭路
- 若狭町
- 暦会館
- 校倉造りの暦会館は、他では見られない昔の天文器具や古い時代の暦など、暦に関する資料がいっぱいのユニークな資料館。日本の天文暦学の祖安倍晴明の子孫が応仁の戦禍を逃れ、この地に移り住んだことにちなんで建てられました。
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- 若狭路
- おおい町
- 小松重盛塚
- 旧名田庄村納田終(小松地区)の南川砂防ダム側にある小松重盛塚。小松重盛とは平清盛の長男のことです。名田庄の集落は平重盛ゆかりの人物が落ち延び、住んだという伝説があります。
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- 若狭路
- おおい町
- 常高寺
- 浅井三姉妹の次女・お初(常高院)が、夫・京極高次の菩提を弔うために建立。小浜出身の槐堂周虎禅師を迎えて開山。お初は大阪冬の陣・夏の陣で徳川、豊臣両家の和平で奔走したことでも歴史に名を残している。寛永10年(1633)、お初が江戸で亡くなり、常高寺に埋葬された…
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