敦賀・若狭の
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- 風車会館(若狭本郷駅)
- おおい町の玄関口となるJR小浜線若狭本郷駅は、ユニークな駅舎で知られています。イギリスの童話をイメージしており、屋根の上に取り付けられている六角型の二基の塔が特徴となっています。この建物は、平成2年に大阪市で開催された「国際花と緑の博覧会」の会場で使…
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- 若狭路
- おおい町
- 茅葺きの舟小屋
- 三方湖の湖畔にある舟小屋。かつてこの舟小屋から舟を出して湖対岸にわたり、梅の収穫を行っていました。合掌造りの舟小屋と湖の風景は一枚の絵のようです。梅の花の咲く頃や、雪景色の舟小屋は静かな美しさをたたえ心に染みる風景です。
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- 准藩士屋敷跡
- 小浜藩預りとなった水戸天狗党の残党を収容するため、慶応2(1866)年に建てられました。現在は、周囲の石垣が残ります。 元治元(1864)年11月1日、尊王攘夷実現のため、常陸国筑波山で挙兵した水戸天狗党は京都を目指しますが、幕府軍の追撃を受けて越前国敦賀で降伏。…
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- 若狭路
- 美浜町
- 武田耕雲斎等墓
- 元治元年(1864)、朝廷に志を訴えようと挙兵した尊皇攘夷派の水戸天狗党は、翌年敦賀で捕えられ処刑されました。敦賀には首領の武田耕雲斎をはじめとする水戸烈士の墓が残され、国の史跡に指定されています。墓の近くにある松原神社には水戸烈士411柱の御霊が祀られて…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 暦会館
- 校倉造りの暦会館は、他では見られない昔の天文器具や古い時代の暦など、暦に関する資料がいっぱいのユニークな資料館。日本の天文暦学の祖安倍晴明の子孫が応仁の戦禍を逃れ、この地に移り住んだことにちなんで建てられました。
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- 若狭路
- おおい町
- 小浜城址
- 自然地形を巧みに利用した全国でも珍しい水城。慶長6年(1601)、若狭の国主となった京極高次(お初の夫)が築城に着手。寛永11年(1634)、酒井忠勝が城主となり、寛永19年(1641)に城が完成。酒井家14代238年間の居城となり、明治4年(1871)まで歴史は続いた。現在は城郭の…
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- 若狭路
- 小浜市
- 小浜町並み保存資料館
- 平成20年6月に、伝統的な町並みが残る地域である小浜西組は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。この資料館は大正期に建てられた京都風の伝統的な町家で、昭和10年までは日用品などを販売する小間物屋が営まれていました。
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- 若狭路
- 小浜市
- 三方石観世音
- 三方駅のすぐそばに三方石観世音があります。石段を上がっていくと途中に石の鶏があるのは、一夜で観音像を彫っていた弘法大師が、夜明けを告げる鶏の声で、右手首から先を彫り残したと伝えられるため。手足の不自由な人にご利益があるとされ、参拝者がたえません。北…
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- 若狭路
- 若狭町
- 敦賀市立博物館
- 建物は昭和2年に郷土の偉人・大和田荘七が建てた旧大和田銀行本店です。国の重要文化財に指定されており、当時の敦賀港の繁栄を象徴する豪華なつくりで、北陸で最初のエレベーターや大理石のカウンター、見上げるほどの大金庫など建物そのものも見所満載です。
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- 若狭路
- 敦賀市
- 立石岬灯台
- 敦賀半島の最先端に立って航路の安全を知らせるのが立石岬灯台です。明治14年、洋式の灯台としては始めて日本人の手で造られたものです。そのレトロなたたずまいは、国際港敦賀の歴史を象徴しています。
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- 若狭路
- 敦賀市
- おおい町情報交差点ぽーたる
- 国道27号線沿いにある「ぽーたる」では、大阪花博で運行していた実物大のSL義経号が皆さんを迎えてくれます。中に入ると、パノラマ鉄道模型が楽しく動き回り、子どもたちの人気を集めています。
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- 若狭路
- おおい町
- 疋壇城跡
- 疋田南西部の、集落後背の丘陵地(標高約100m)に築かれた平山城です。文明年間(1469~87)に朝倉家臣・疋壇対馬守久保が築城したといわれています。疋田は、近江から越前に入る海津越、塩津越、柳ヶ瀬越の3街道が集まる地点で、古くから交通の要衝でした。この点を考え…
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- 若狭路
- 敦賀市
- 洲崎の高灯籠
- 旧笙ノ川の河口の左岸に蔦が絡んだ石積みの灯籠があります。これは、船問屋であった庄山清兵衛が享和2年(1802)に建てた高灯籠で、「庄山の高灯籠」とも呼ばれています。当時は毎夜、灯籠がともされ、出船入船の目標として、重要な役割を果たした、日本海側で最古の石…
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