【福井駅周辺30分観光】意外と大きかった!「福井城」をとことん歩き尽くす!
お城=天守閣がイメージされる日本の「城」。福井駅周辺にも「城」はあるのです。城郭だけのお城でも、歴史を掘り下げてみればいろんなモノコトがわかります。福井県民もあまり知らない福井のお城のお話がここにあります。30分で観光する福井駅周辺の旅、今回は「福井城」を紹介します。

宮田耕輔
福井のまちづくりをライフワークに、ギャラリーを運営し、まちあるきガイドを育成し、毎年映画を撮り、映画祭を開催し、時々超長文のブログを書いています。
https://fukuitown.fun

福井の中心に“お城”はあります
福井の中心、福井駅周辺には恐竜がたくさん鳴いていますが、実は“お城”が残ってます。といっても、天守や城郭があるというわけでもなく、石垣と内堀が残っているだけ。でもって、お城の中には県庁と県警本部、県議会という重厚な建物があったりします。
時代が下ってお城が観光になると知るや、県庁機能が移転していき、だんだんとお城と行政府が離れていった結果、本丸内に行政府があるのは福井だけになっていったのです。お城の中に県庁があるのは、県民にとってはもう当たり前の風景になっています。
県民も知らない本当の大きさ
でも、県民も実は福井城の本当の大きさをあまり知りません。今は本丸の部分しか残っていないのです。では、どのくらい大きかったかというと、今見ているお城の約30倍くらいと考えてもらえれば。福井藩ができた当初は67万石という全国屈指の規模!
何故ここまで大きかったかというと、江戸時代が始まった頃はまだ治安も不安定で、江戸と京都を結ぶ間において福井藩は重要な拠点でもあったのです。だから初代藩主に選ばれたのは、徳川家康公の次男、結城秀康公でした。
まちなかにもお堀の跡が
つまり経済の中心、文化の中心となっているエリアはすべて、お城の中にあったのです。その痕跡をまちなかで見ることができます。FUKUMACHI BLOCK周辺を歩いていると、歩道に不自然な斜めのラインで石が2か所敷いてあります。実はこれがかつての広大なお堀「百間堀」の跡なのです。
ちなみに「百間堀」の跡は、駅前大通りを挟んで県庁側の道路にもあるので探してみてくださいね。
さらに西武福井店近くにある鳩の門通りからガレリア元町商店街に向かう先が坂になっているのも、「百間堀」の段差を埋めるために坂道にしているのです。
石垣はフクイブルー
福井城に着くと立派な石垣が出迎えてくれます。「笏谷石(しゃくだにいし)」と呼ばれるこの石は、駅近くの「足羽山(あすわやま)」でのみ産出される石で、福井城の石垣はこの笏谷石のみを使用して築城されています。
この笏谷石、特徴として水に濡れると青くなるほか、加工しやすいことが挙げられます。それらの特徴が現代に生かされ、器作りの素材として使われることとなりました。その器のシリーズが「フクイブルー」と呼ばれています。
天守の位置
さてさて、築城に6年の月日を要し完成した福井城。天守も御殿も立派なものでした。が、約60年後には火事で焼失…。その後幕府に復興の要請をするも、結局天守が再建されることはありませんでした。
よく間違えられるのが、天守が現在の県庁あたりにあった、ということ。いえいえいえ、天守の場所はもっと奥、北西の端にありました。現在も天守跡がしっかり残っており、花見のシーズンになると本当に多くの方が花見にやってくるんです。
福井の由来???
天守跡のところには井戸の跡がありました。この井戸の名を「福の井」と呼んでいた、とされているとかいないとか。そしてこの井戸が福井県の名前の由来になったとかならないとか。
実は「福の井」の中には東に向かって横穴があり、「福の井」からちょうど真東にもう一つ井戸が存在していたそうです。実は井戸に見せかけた「抜け穴」だったのでは、なんて推察することもできると思いませんか? 福井城にはこんなロマンな話もあります。
隣の公園もまた城内跡
福井城址の横にあるのが福井市中央公園。この公園ももちろん福井城内。二の丸、三の丸の部分であり、お殿様のお住まいがあった場所でもあります。公園の芝生を見てみると、石組みの枠が見えたりしますが、お住まいの「御座所」であり「大奥」の場所がここでした、という跡です。
そしてこの公園に立つ銅像が、稀代のプロデューサー・岡倉天心です。彼は福井藩の横浜商館で生まれたのですが、生涯「自分は福井藩士」と言っていたとか。それくらい福井に対する愛着があったようです。
本当にざくっと解説しましたが、もっと詳しい話を知りたいときは、福井城址を巡る30分観光のアテンドをしますのでお気軽にお声がけください。そして福井を愉しんでくださいね。



























