ふくいまちなか建物探訪
街は、道があって建物があって、そこに人がいて成り立つもの。昨今の多くの「まちづくり」はハードよりも人というソフトな部分にフォーカスが当たっているけれども、ハードな部分にもフォーカスを当てることで、街の歴史が見えてくるんじゃないかと、今回は福井のまちなかにある魅力的な建物を紹介します。

宮田耕輔
福井のまちづくりをライフワークに、ギャラリーを運営し、まちあるきガイドを育成し、毎年映画を撮り、映画祭を開催し、時々超長文のブログを書いています。
https://fukuitown.fun

1.福井市グリフィス記念館
お雇い外国人
明治期には西洋の学問や技術を学び、取り込むため“お雇い外国人”と呼ばれた、各分野の人々が何人も日本にやってきました。福井にはウィリアム・エリオット・グリフィスさんが、物理や化学を教える先生として、明治4(1871)年3月4日に福井に到着します。ここから翌年1月20日までの約1年間を福井で教鞭をとることになりました。
そのとき、グリフィスさんを迎えるために作られたのが「異人館」と呼ばれた西洋風の木造建築の館でした。西洋建築の見様見真似で作った“擬洋風建築”という独特な意匠がなされていました。
その代表的な意匠として「ベランダ海鼠壁(なまこかべ)」という、日本独自の防火工法「海鼠壁(平瓦を並べて継ぎ目を漆喰で盛り上げる様式)」をベランダに組み合わせたものが作られました。

何故再現できたのか
ただこの「異人館」、完成から3年後、火事で焼失してしまいます。では、現在再現された「福井市グリフィス記念館」は、どうやって作られたのでしょう? 実は「異人館」は当時2棟建っていて、わずかに残っていたその当時の写真を基に設計され、完成したのです。先ほどの「ベランダ海鼠壁」も完全再現していて、今では全国でも珍しい存在となっています。

福井市郷土歴史博物館より
補足
「異人館」のかつての場所を顕彰するため、福井駅寄りに約200m行ったところに「異人館跡」という石碑が建っています。そこから回れ右をすると、足羽川に向かってグリフィスさんと日下部太郎の銅像が立っています。

ついでに
「福井市グリフィス記念館」の斜め後ろに『リバージュアケボノ』というホテルがあります。立派な現代建築のホテルではありますが、駐車場が何故かアーチ形の意匠になっています。これはかつてこの地にあった福井市役所の意匠に対するオマージュなのです。

2.三井住友信託銀行福井支店
2度の災害を耐えた
福井市の中心部において一番建物的に“映える”のが『三井住友信託銀行福井支店』のビル。花崗岩と人造石を使ってヨーロッパ風の重厚な外観に仕立てた意匠性の高い建物は、昭和9(1934)年なので、今から90年以上も前に建てられました。
福井の街は、昭和20(1945)年の福井空襲、昭和23(1948)年の福井地震で壊滅的なダメージを受けます。しかし! このビルだけは2度の災害も耐えきったのです。これは奇跡と一言で片づけるものではありません。耐えるべくして耐えることのできた建物なのです。

福井震災の後の、福井駅から大名町交差点方向を撮影(まちづくり福井株式会社より)
何故耐えられたのか
この建物は当初の持ち主『福井信託株式会社』が経営の絶頂期に、お金を惜しまず作った堅牢な建物でした。信託会社とは倒産してもお客さんの資産は全額返さなければなりません。だからこそしっかり守る、建物は堅牢にする、その覚悟がありました。結果、約10000発の爆弾が落ちてきた福井空襲でも、気象庁がこれを機に震度7を設定した福井地震でも倒れなかった建物になったのです。

多分、戦災前の写真と思われるもの。奥の建物が当時の『福井信託株式会社』(まちづくり福井株式会社より)
実は、この建物と同じように空襲と地震に耐えきった建造物が福井の街にはもう一つあります。「大名町交差点」にある緑色の鉄塔です。かつてこの交差点は信号のない環状交差点で、その中心を走る路面電車の電線を張るために4つ建っていました。しかし信号に置き換わり、いつしか撤去されていき、今ではこの2本の鉄塔だけが残るに至りました。当時の福井の街並みを今に伝える遺産として、併せて感じてください。

3.コノジナガヤ
令和の昭和遺産
明治、昭和と時代が進み、現代の令和。お店にいるととにかく、驚嘆の声を持って視察に多くの人が訪れているのがわかります。それくらい、建築の世界において世にも珍しい建物とされているのが『コノジナガヤ』です。4つの店舗兼住宅だった建物を一つの長屋風テナントにしたのです。
ただ、解体時は大変でした。そもそも震災後の商店街なので既に70年近く経っている建築物。外観はわかっても、中身がどうなっているかわからない、という状況です。解体しては調査をして、図面を引き直し、さらに解体しては調査をして、図面を引き直し、なんてことの連続でした。

贅沢な建物の理由
かくして1年の工期を経て『コノジナガヤ』は完成します。古くて新しい空気をまとった、世にも奇妙な建物がお披露目されました。3つの階段が幅も角度も違うのは、以前の建物の階段を踏襲しているからです。建物の間から空が見えるのは、屋根を塞ぐとリノベーションではなくなってしまうからです。

段差があるのは、そこがかつての建物の境界だからです。土壁もありつつ太い鉄骨が横たわっているのも、以前に使われていたものをそのまま使っています。吹き抜けを作り、床の間をそのままにしているのも、当時の生活を今に伝えるためです。


あくまでも街の雰囲気、街の空気感、街の営みの歴史を、この場所ではなくしてはいけないという思いがありました。だから世にも奇妙で、全国から視察が訪れるのです。
ついでの最後
『コノジナガヤ』と対極にあると言っていい『FUKUMACHI BLOCK』にある『コートヤードバイマリオット』の外観、これはどこも同じではなく、特に福井のこの外観は福井ならでは。これは福井の繊維産業へのオマージュで、“羽二重織(縦2本横1本で織った織物)”をイメージしています。これもまた福井ならではなのです。


さて、
今回も調べていったら内容が濃すぎて6200文字に到達してしまいました…。今回、このブログでさえも削って削って2500文字なので、6000文字を超えると、ここで載せたら誰も読んでくれないので(笑)、完全版を別に書いています。より深く、より面白く知りたい方はこちらをお読みください。














